HISTORICAL PERSON · 1335年没

ダナシリ

モンゴル帝国第15代皇帝ウカアト・カアンの第一皇后で、キプチャク軍閥の首領エル・テムルの娘。1335年に一族のクーデター計画が露見すると皇后位を剥奪され、幽閉の2か月後に毒酒で殺された。

生涯
1335年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ダナシリは、モンゴル帝国第15代皇帝ウカアト・カアン、すなわち元の順帝トゴン・テムルの皇后の一人である。漢文の史料では答納失里と記される。生年は分かっていないが、1320年とする記述もある。キプチャクの出身で、父は軍閥の首領エル・テムル、兄にタンキシュがいた。エル・テムルは、イェスン・テムル・カアンの没後にトク・テムルを推戴して天暦の内乱を起こした中心人物である。内乱に勝ち、トク・テムルの兄コシラを毒殺して、トク・テムルを文宗ジャヤガトゥ・カアンとして即位させた。この功により、ジャヤガトゥ・カアンを事実上の傀儡として絶大な権勢を振るった。

ところがジャヤガトゥ・カアンは死の間際になって、兄のコシラを毒殺して即位したことを悔い、コシラの遺児トゴン・テムルを後継者とするよう遺言して亡くなった。エル・テムルは遺児のエル・テグスを新たなカアンにしようと準備していたが、皇后のブダシリとバヤンが遺言をたてに認めなかった。妥協案として、まずトゴン・テムルの弟で生後間もないリンチンバル・カアンが即位した。しかし即位から1か月余りで崩御し、後を追うようにエル・テムルも亡くなったため、ブダシリとバヤンの意向に沿ってトゴン・テムルがウカアト・カアンとして即位した。

エル・テムルの後を継いだタンキシュの勢力はなお強かった。ウカアト・カアンの即位から2か月後、タンキシュは姉妹のダナシリを第一皇后とすることで、父の権勢を引き継ごうとした。ダナシリは1333年8月に皇后に立てられ、1334年には冊立の儀式が行われた。同年5月12日にはトゴン・テムルの最初の子を産んだが、その男子は11月23日に麻疹で亡くなった。皇帝は高麗出身の奇氏を深く寵愛し、嫉妬したダナシリは、しばしば奇氏を打たせたという。

時がたつにつれてバヤンの地位は盤石になり、エル・テムル家の権勢は相対的に弱まった。1335年、これに不満を抱いたタンキシュは、モンケ家のコンコ・テムルらと組んでクーデターを計画したが、郯王チェチェクトゥの告発で事前に露見した。タンキシュの一族はバヤンに捕らえられて処刑された。弟のタラカイだけはダナシリのもとへ逃げ込み、ダナシリは自分の衣服で隠そうとしたが、引きずり出されて殺された。バヤンは兄弟が反逆を企んだのに皇后だけが無関係なはずはないと主張し、ダナシリをも捕らえた。捕らえられたとき、ダナシリが皇帝に「陛下、我をお救い下さい」と懇願したのに対し、皇帝は「汝の兄弟が大逆をなそうとしたというのに、どうして汝を救うことができようか」と述べるだけだったという。ダナシリは皇后の地位を奪われ、上都開平府の民家に幽閉された。それからわずか2か月後、バヤンの命によって毒酒で殺された。この死で、エル・テムルの一族は完全に絶えた。

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