伝記
イサベル・デ・アラゴン・イ・シシリアは、ポルトガル王ディニス1世の妃である。1271年1月4日に生まれ、1336年7月4日に没したとされる。ポルトガル語ではイザベルと呼ばれ、ポルトガルの聖イザベル王妃として知られる。アラゴン王ペドロ3世と、シチリア王女である王妃コンスタンサの長女で、生まれた場所はバルセロナともサラゴサともいわれるが、育ったのはアラゴン王家の宮廷があるバルセロナだった。生まれたときに皮に包まれていたという伝説もある。兄弟には、のちにアラゴン王となるアルフォンソ3世とハイメ2世、シチリア王フェデリーコ2世がいる。大伯母にあたるハンガリー王女エルジェーベトも聖人とされた。
幼いころから敬虔なカトリック教徒で、少女のころから、貧者や病人への奉仕を日々の信仰の務めとしていた。ポルトガル王ディニスは17歳で即位し、結婚相手としてイサベルが望ましいと考えた。フランス王フィリップ3世の仲介で話し合いが始まり、1280年11月にはポルトガルから使節がペドロ3世のもとへ送られた。フランスやイングランドの王子たちも求婚者だったらしいが、アラゴン王はすでに王であるディニスを選んだ。1282年2月11日、11歳ほどのイサベルはバルセロナの王宮の礼拝堂で、代理人を立ててディニスと結婚した。4月24日にはカステロ・デ・ヴィデで取り決められた証書により、アブランテス、オビドス、アレンケル、ポルト・デ・モシュなどが持参金として与えられた。イサベルは長い旅を経て、6月26日、トランコーゾで婚礼を挙げた。国王はこの町を王妃の領地に加えた。祝宴は数日続き、二人は8月初めにグアルダ、9月末にヴィゼウ、10月15日にコインブラへと進み、王宮に落ち着いた。
二人の間には、1290年生まれのコンスタンサと、1291年生まれで父の跡を継ぐアフォンソが生まれた。アルカニセス条約により、コンスタンサは1302年にカスティーリャ王フェルナンド4世に嫁ぎ、アフォンソもカスティーリャのいとこ、ベアトリスと結婚した。信心深い振る舞いは周囲に人を集め、人望を集める彼女への妬みも生じた。出身がアラゴンであることはポルトガルとアラゴンの同盟を支え、彼女は一族の争いでたびたび調停役を務めた。1323年、王子アフォンソは、父王が庶子の異母弟に王位を譲ろうとしていると思い込んで父に反乱を起こした。しかしイサベルの仲裁で父子は和解した。
1325年にディニスが没し、アフォンソが王位に就いた。イサベルは自ら寄進した、コインブラのフランシスコ会系のクララ会修道院に引退した。残りの人生を弱者への奉仕に捧げようとしたのである。ところが1336年、アフォンソ4世が、娘マリアが夫のカスティーリャ王アルフォンソ11世から虐待されているとして出兵した。老いて体力が弱っていたが、イサベルは二人の王が対峙するエストレモスへ急いで向かい、争いをやめさせて和平を結ばせた。和平のあと間もなく体調を崩し、エストレモスで熱病により死去し、コインブラの修道院に葬られた。1612年に遺体が腐敗していないことが確認され、1625年5月25日、教皇ウルバヌス8世により列聖された。
同じ年に亡くなった人物
- エドゥアール1世 (バル伯) (1336年没)
- 楠木正成 (1336年没)
- アルフォンソ4世 (アラゴン王) (1336年没)
- 後伏見天皇 (1336年没)
- ランツェロット・マロチェロ (1336年)
同じ地域に関係する人物
- イザベル・デ・コインブラ (1455年没)
- フェルナンド1世 (ブラガンサ公) (1478年没)
- ペドロ1世 (ポルトガル王) (1367年没)
- アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世 (1184年没)
- テオドジオ1世 (ブラガンサ公) (1563年没)