伝記
アンナ・フォン・デア・プファルツは、1329年9月26日に生まれた。ヴィッテルスバッハ家の出身で、父はライン宮中伯ルドルフ2世、母はケルンテン公オットー3世の娘アンナである。父と母の間に生まれた唯一の娘とされる。チェコ語ではアンナ・ファルツカーと呼ばれる。バイエルンのアンナ、プファルツのアンナの名でも知られる。父方の祖母マティルデを通じて、ローマ王アドルフ・フォン・ナッサウの曾孫にもあたる。父は1348年にシチリア王フリードリヒ2世の娘マルゲリータと再婚したが、嫡出の子はそれ以上なかった。アンナには、父の庶子である異母きょうだいのアンナとコンラート・ハンネスがいた。
1349年、アンナはライン川沿いのバカラックの町で、ローマ王でボヘミア王のカール4世と結婚した。結婚の時期は3月とも5月ともいわれる。カールの最初の妃ブランシュ・ド・ヴァロワは、前年の1348年に亡くなっており、アンナは2人目の妃となった。結婚の少し前まで、父のルドルフ2世はルクセンブルク家と敵対する側につき、対立王ギュンターを支持していた。ヴィッテルスバッハ家と対立していた教皇クレメンス6世もこの結婚に反対したが、カールは押し切って結婚した。そのため、教皇が1352年に死去するまで、教皇とカールの関係は冷えたままだったという。同じ1349年の7月26日、アンナはアーヘンでローマ王妃として戴冠し、同年11月には、すでに身ごもっていたアンナが、プラハの聖ヴィート大聖堂でボヘミア王妃としても戴冠した。
翌1350年1月、アンナは待望の息子ヴェンツェルを産んだ。この名はボヘミアの守護聖人にちなむ。しかしヴェンツェルは1351年の12月に幼くして世を去った。アンナ自身も、1353年2月2日にプラハで、23歳で死去した。遺体はプラハの聖ヴィート大聖堂に葬られたとされる。カール4世は同じ1353年の5月27日に、シフィドニツァ公ヘンリク2世の娘で、亡き息子ヴェンツェルと婚約していたアンナと3度目の結婚をした。1998年に発見された小惑星100733には、アンナ・ファルツカーの名が付けられている。
同じ年に亡くなった人物
- デュードネ・ド・ゴゾン (1353年)
- スチェパン・コトロマニッチ (1353年)
- ルドルフ2世 (ライン宮中伯) (1353年没)
- Herman IX of Baden-Eberstein (1353年)
- Frederick III of Baden (1353年)
同じ地域に関係する人物
- Andrej Kvasnak (2007年没)
- ベラ・チャスラフスカ (2016年没)
- ズデニェク・マーツァル (2023年没)
- マリア・アマーリア・ダズブルゴ (1804年没)
- オタカル1世 (ボヘミア王) (1230年没)