HISTORICAL PERSON · 1949年没

モーリス・メーテルリンク

ベルギーの象徴主義の詩人・劇作家。神秘的な象徴劇で才能を発揮し、戯曲『マレーヌ姫』『ペレアスとメリザンド』などを世に出した。

生涯
1949年没
死亡地
フランス共和国(アルプ=マリティーム県 / ニース)
出生地
ベルギー王国(ヘント)
出典
世界地図
フランス共和国(アルプ=マリティーム県)

伝記

モーリス・メーテルリンクは、1862年8月29日にベルギーのヘントで生まれた象徴主義の詩人、劇作家、随筆家である。正式な名はメーテルリンク伯爵モーリス・ポリドール・マリ・ベルナールといい、フランス語を話す裕福なフラマン人カトリック教徒の家庭に育った。姓はフラマン語で「計量士」「測量師」を意味するとされる。法律を学ぶかたわら詩や短編小説を書いたが、のちにそれらを処分してしまったため、今日では断片が伝わるだけである。

ヘント大学法学部を卒業すると、グレゴワール・ル・ロワとともに渡仏し、1885年10月から1886年4月までの7か月をパリで過ごした。この間に、ヴィリエ・ド・リラダンやジャン・モレアスら、当時流行していた象徴主義運動の活動家と知り合い、詩人サン=ポル=ルーから「ヘントの王子様」というあだ名をつけられた。晩年の回想録によれば、1885年にユイスマンスの『さかしま』を読んでおり、とりわけヴィリエ・ド・リラダンとの出会いが後の作家人生を決定づけたという。1886年から『七詩聖』や『若きベルギー』といった文芸雑誌に詩を発表し、1889年に処女詩集『温室』を出して文壇に登場した。33篇からなるこの詩集のうち7篇は、当時まだ新しかった自由詩で書かれていた。

同じ1889年に最初の戯曲『マレーヌ姫』を発表すると、翌1890年8月24日付の『フィガロ紙』で批評家オクターヴ・ミルボーに評価され、一躍有名になった。続いて宿命論と神秘主義に基づく『闖入者』『群盲』『ペレアスとメリザンド』など一連の象徴主義的作品を書いた。最も大きな成功を収めたのは1907年発表の『青い鳥』で、1911年にはノーベル文学賞を受賞した。作品の主題は「死と生命の意味」であったとされる。私生活では、1895年から1918年まで歌手のジョルジェット・ルブランと関係を持ち、1919年2月15日にルネ・ダオンと結婚して、ともにアメリカ合衆国へ渡った。1920年にレオポルト勲章を受け、1925年にはルネ夫人が子を死産している。随筆にも力を注ぎ、『貧者の宝』(1896年)、『蜜蜂の生活』(1901年)、『花の知性』(1907年)、『死』(1913年)などを著した。その著作はカトリックの禁書目録に指定されたとされる。1926年の『白蟻の生活』は、南アフリカの詩人ユージーン・マレーの作品の盗作だと批判された。1930年にはニースで城を買い取り「オルラモンド」と名づけ、1932年にはベルギー国王アルベール1世から伯爵位を授けられた。

第二次世界大戦が始まると、ドイツの侵攻を避けてリスボンへ逃れ、船でアメリカへ渡った。1919年の戯曲でドイツによるベルギー占領を批判したため、捕らえられれば射殺されたかもしれないと『タイムズ』紙に語り、ドイツとその同盟国の日本には版権を渡さないよう遺言に記したという。戦後はニースへ戻って1949年5月6日に死去した。1947年から亡くなるまで国際ペンクラブの第4代会長も務めた。また動物にも深い関心を寄せ、『二重の庭』(1904年)では若くして死んだブルドッグのペレアスを取り上げ、人生の始めに世界の観念を数週間で築かねばならない犬の重い心労に心を打たれたと語っている。

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