伝記
ラマナ・マハルシは、1879年12月30日、南インドのタミル・ナードゥ州ティルチュリ村に、ヴェンカタラーマン・アイヤールとして生まれたヒンドゥー教の賢者である。敬虔なバラモンの家に四人兄弟の次男として生まれ、父スンダラム・アイヤールは法廷弁護士、母はアラガンマルであった。7歳でウパナヤナと呼ばれる入門儀式を受けた。記憶力に優れ、大きな物音にも目覚めないほど深く眠る子だったという。11歳で叔父のいるディンディグルへ移り、1891年に兄とともにマドゥライへ移住した。翌1892年に父が急逝し、兄弟は叔父のもとで暮らした。マドゥライではスコット中学校を経てアメリカン・ミッション高校に学び、キリスト教にも触れている。1895年11月、聖山アルナーチャラが実在する場所だと知って深く心を動かされ、聖者の伝記『ペリヤプラーナム』を読んで、神との合一が可能であることを知った。
転機は1896年7月、16歳のときに訪れた。マドゥライの叔父の家で、ある午後、理由もなく激しい死の恐怖に襲われた彼は、手足を伸ばして死体のまねをし、「死ぬのはこの身体であって、それを超えた霊性は死に触れられない」と悟ったとされる。帰依者たちはこれを真我実現の契機とみなしている。この体験ののち学業への関心を失い、8月29日に授業があると兄に告げて家を出た。9月1日にティルヴァンナーマライに着き、以後、生涯その地を離れなかった。到着後は大寺院の地下室で深いサマーディに入り、虫に噛まれても気づかないほどだったという。1897年にはグルムールタム寺院へ移り、修行者パラニスワミが従者となった。家族に居場所が知られても、叔父や母の懇願に応じず山を下りなかった。
1899年にアルナーチャラの山中へ入り、ヴィルーパークシャ洞窟に17年間住んだ。1902年には官吏シヴァプラカーシャム・ピッライの問いに、沈黙を保ったまま砂に文字を書いて答えた。この問答が真我探究の教えの最初の記録で、のちに『私は誰か?』という小冊子になった。1907年にはサンスクリット詩人のガナパティ・シャーストリーが彼を「バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ」と呼び、この名が広まった。1911年には赴任中の警察官フランク・ハンフリーズが訪れ、西洋人として初めてその存在を世に伝え、記事は1913年に雑誌に載った。1912年には弟子たちと山を歩いている最中に発作を起こし、心臓と呼吸が止まったが、十五分ほどして息を吹き返したという。1916年には母と弟が移り住み、この時期に詩『アルナーチャラへの五つの讃歌』を著した。1922年5月に母が亡くなると、同年12月に山麓へ下り、母の墓廟のそばに形成されたラマナアシュラマムで晩年まで暮らした。
1931年に伝記が出版され、1934年にはポール・ブラントンの著書『秘められたインド』によって、西洋でも広く知られるようになった。サマーセット・モームらも訪れ、モームの小説『剃刀の刃』の導師像のモデルともされる。言葉による教えを求める者には、「私は誰か」と自らに問う真我探究と、帰依の二つの道を示した。1948年に腕に腫瘍が見つかり、手術を重ねても回復せず、1950年4月14日に亡くなった。その瞬間、大きな流れ星がアルナーチャラの頂へ向かって消えたと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- フェヴズィ・チャクマク (1950年没)
- マークス・レイテル (1950年没)
- ギレルミナ・スッジア (1950年没)
- ヘンリー・スティムソン (1950年没)
- モーリス・コステロ (1950年没)
同じ地域に関係する人物
- シュリニヴァーサ・ラマヌジャン (1920年没)
- バヌマティ・ラーマクリシュナ (2005年没)
- ラーマーヌジャ (1137年没)
- パンダリ・バーイ (2003年没)
- K.Kamarajar (1975年没)