伝記
タッデオ・ガッディは、初期ルネサンス期に活動したイタリアの画家、建築家である。生年は1290年ごろとも1300年ごろともいわれ、没年は1366年とされる。フィレンツェの生まれで、画家ガッド・ガッディの息子であり、祭壇画や壁画を制作したほか、モザイクも手がけた。
タッデオは、最初ジョットの弟子兼助手として絵を学んだ。1313年からジョットが没する1337年まで、その工房に所属したといい、ジョットは代父でもあったと伝えられる。二人の関係は24年間続いた。ジョットの最も才能ある弟子とみなされ、ヴァザーリは、1347年にフィレンツェの名高い画家を並べたリストの一番上にタッデオを置いたと述べている。画家のほか、商人としても取引を行い、ヴェネツィアに支店を構えていた。
『聖フランチェスコの聖痕』(1325年ごろ-1330年、テンペラ、板)のような初期の作品は、ジョットの様式を巧みに作り直したことをはっきりと示している。1325年の日付をもつ小さなテンペラ画『降誕』も、この時期のものである。おそらく最も有名な作品は、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂のバロンチェッリ礼拝堂にある、聖母の生涯を描いたフレスコ画の連作(1328年-1338年)であろう。ジョットの新しい様式を自分のものとしたうえで、建築を描いた背景に独自の試みを加えており、「羊飼いへの天使の知らせ」には、光とその効果への興味がよく表れている。しかし、日食の研究は、1339年に目を負傷する結果を招いたという。
そののち、同じ聖堂の聖具室の戸棚の板絵を描いたとも考えられている。そのほかにも、ピサのカンポサント・モヌメンターレの『ヨブ記』の物語、ウフィツィ美術館の『聖母子と天使と聖人たちの玉座』などがあり、ピストイアの教会のための多翼祭壇画(1348年-1353年)の一部と思われる板絵も残る。1355年には聖母子の玉座の絵を、1360年から1366年にかけては『キリストの埋葬』を描いた。建築家としては、ポンテ・ヴェッキオ橋のデザインを手がけたと信じられてきたが、現代の研究者には異論もある。ポンテ・トリニータ橋も作ったといわれるが、この橋は16世紀に壊された。
タッデオには4人の息子があり、そのうちヨハンネス、アーニョロ、ニッコロの3人は美術家として知られる。なかでもアーニョロ・ガッディは、父と同じく画家として名を残した。4番目の息子ザノービが美術を本職としていたかどうかは、示す証拠がない。
同じ年に亡くなった人物
- Henry Suso (1366年)
- マリア・ディ・カラブリア (1366年没)
- ウルリヒ4世 (1366年)
同じ地域に関係する人物
- パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ (1482年没)
- ステファヌス9世 (ローマ教皇) (1058年没)
- パオロ・ジョヴィオ (1552年没)
- ルイージ・カルネラ (1962年没)
- ジョヴァンニ・バッティスタ・ドナティ (1873年没)