伝記
ティベリウス・ユリウス・アスプルゴスは、紀元前1世紀後半から紀元後1世紀前半にかけて生き、37年か38年に没した王子であり、ローマの従属王国であったボスポロス王国の王である。ピロロマイオスの称号を帯びた。アスプルゴスという名はイラン系の起源をもち、馬を意味するアスパと騎手を意味するアスパバラに由来する。ギリシア系とペルシア系の血を引く君主で、ボスポロス王国で生まれ育った。父はボスポロスの統治者アサンドロス、母はディナミアである。母方の祖父はボスポロスとポントスの先代の王でローマの従属王だったファルナケス2世で、祖母はサルマタイ人の妻だった。
紀元前17年、アサンドロスは93歳で自ら食を断って死んだ。軍勢が、ローマの簒奪者スクリボニウスのもとへ去っていくのを目にし、絶望したためである。スクリボニウスはディナミアの親族を装って王位を奪おうとし、ディナミアは彼との結婚を強いられた。ローマの政治家マルクス・ウィプサニウス・アグリッパがこの偽りを見破って介入し、ポントスのポレモン1世を新たなボスポロス王に任じた。ディナミアはポレモンと結婚し、ポレモンはアスプルゴスの継父となった。
ディナミアの死については、紀元後7年か8年とも、紀元前14年ともされる。前者の場合、アスプルゴスがボスポロスの領地を率いることになった。彼の治世についてはほとんど知られていないが、強く有能な支配者だったようである。共和政期から、またアサンドロスの死の前後に王家の争いが続いていたため、皇帝アウグストゥスとローマの元老院は、紀元後14年になってようやく彼を正統なボスポロス王と認めた。ローマ市民権を得て、アウグストゥスとその後継者ティベリウスの庇護を受けたことから、「ティベリウス・ユリウス」というローマ風の名を名乗った。
妻はトラキアの王女ゲパイピュリスで、二人の息子が生まれた。ティベリウス・ユリウス・ミトリダテスは、ミトリダテス6世にちなんで名づけられ、68年に没した。ティベリウス・ユリウス・コテュス1世は、母方の亡き祖父コテュス8世にちなんで名づけられた。のちにコテュスの系統からは、1世紀半ばまでボスポロスを治める子孫が出た。その君主たちは、アスプルゴスとの結びつきと血統を示すために「ティベリウス・ユリウス」の名を名乗った。
アスプルゴスは37年か38年に死去した。あとには妻ゲパイピュリスと息子のミトリダテスとコテュスが残り、ゲパイピュリスが唯一の統治者として夫を継いだとも、長男とともに統治したともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- Pythodorida of Pontus (38年没)
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