HISTORICAL PERSON · 1952年没

クヌート・ハムスン

ノルウェーの小説家。1920年に『土の恵み』でノーベル文学賞を受賞したが、ナチス支持と占領中の対独協力により、晩年は不遇となった。

生涯
1952年没
死亡地
ノルウェー王国(アウスト・アグデル県 / グリムスタッド)
出生地
ノルウェー王国(Vaga)
出典
世界地図
ノルウェー王国(アウスト・アグデル県)

伝記

クヌート・ハムスンは、1859年8月4日にノルウェー中部のオップラン県ロムで、クヌード・ペーダーシェンとして生まれた小説家である。父ペダルと母トラの7人の子の4番目の息子で、3歳のころ一家は北ノルウェーのノルドラン県ハマロイに移った。暮らしは貧しく、9歳で郵便局を営む病気の叔父に引き取られた。叔父は手伝いを必要としており、甥をたびたび殴り、食事も満足に与えなかったとされる。のちにハムスンは、慢性的な神経の不調はこの叔父の仕打ちのせいだと語ったという。1874年に叔父のもとを逃れて故郷へ戻り、その後の5年は店員、行商人、靴職人の徒弟、保安官の助手、小学校の教師など、金になる仕事を何でもした。17歳で縄職人の徒弟となり、同じころ小説を書きはじめた。実業家エラスムス・ツァールに金銭的な援助を頼んで承諾を得ており、のちに彼を『牧羊神』などの小説に登場するマックのモデルにした。

24歳でアメリカに渡り、臨時の仕事をしながら各地を旅した。1885年にいったん帰国して新聞社に記事を売ったが、翌年にはシカゴで線路工夫になっている。1888年にコペンハーゲンへ移り、1889年にはアメリカでの見聞に基づく印象を『現代アメリカの精神生活』と題して出版した。1890年に発表した『飢え』がベストセラーとなり、30歳で一躍脚光を浴びる。首都クリスチャニア(現在のオスロ)で貧困と飢えのため狂気に近づく若い作家を描いた、半ば自伝的な作品である。1892年の長編『秘儀』は文壇を唸らせ、1893年にパリを訪れて執筆した『牧羊神』も評判になった。1898年の恋愛小説『ヴィクトリア』で、世界的な名声を得た。放浪者の主題を繰り返し描き、自然の描写や心の内面の独白といった手法で、後世の作家たちに大きな影響を与えたといわれる。

私生活では、1898年にベルグリオット・ゴップフェルトと結婚して娘をもうけたが、1906年に離婚した。1909年に女優マリーエ・アンデルセンと結婚し、息子を得て生涯をともにした。1918年には、リルサンドとグリムスタの間にあるノルホルムの古い屋敷を買い、修復して、執筆に没頭した。1914年の第一次世界大戦ではドイツ帝国に忠誠を誓い、国民の不評を買ったとされる。1917年に田舎生活を賛美した代表作『土の恵み』を発表し、これで1920年にノーベル文学賞を受けた。1927年から1935年には、最後の人気作となる『放浪者』三部作を発表している。

1933年にドイツでナチスが政権を握ると支持し、息子は親衛隊に入った。1940年にドイツ軍がノルウェーに侵攻すると、国民に武器を捨てて抵抗を止めるよう呼びかけた。1943年5月にはベルリンでゲッベルスを訪ねて深い敬意を表し、6月にはヒトラーに謁見した。しかしノルウェー占領の責任者テアボーフェンの解任を求めたため、会見はすぐに打ち切られた。戦後の1945年、ナチス・ドイツへの忠誠と対独協力の廉で裁判にかけられ、自宅に監禁されたのち精神病院に入れられた。裁判は3年続き、1948年に高齢を考慮されて罰金刑で釈放されたが、財産の大半を失い、農場や屋敷は荒れ果てた。晩年は脳卒中で耳が聞こえなくなり、ほとんど盲目になった。1952年2月19日、92歳でグリムスタで死去し、ノルホルムの自宅の庭に埋葬された。2009年8月4日には、ハマロイにクヌート・ハムスン・センターが開館している。

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