伝記
シドニー=ガブリエル・コレットは、1873年1月28日にブルゴーニュ地方ヨンヌ県のサン=ソーヴール=アン=ピュイゼーで生まれたフランスの作家で、コレットの名で活動した。父はジュール=ジョゼフ・コレット、母は愛称シドで知られるアデールである。父はイタリアでの戦いで片脚を失った元大尉だったが、家の財産の管理は不得手で、一家は破産して競売で家財を売り、シャティヨン=シュル=ロワンに移った。幼いころは小市民の家庭で世俗的な教育を受け、フェミニストで無神論者だった母から、庭で観察する術を教わったという。早くからさまざまな古典を読み、新聞の愛読者だった父からフランス語と文体の指導を受けた。
1893年、15歳年長のアンリ・ゴーティエ=ヴィラールと結婚した。ヴィリーの筆名で知られる彼は影響力のある音楽批評家で、通俗小説を代筆者に書かせる作家でもあった。妻の文才に驚いた夫は、彼女をも代筆者として使った。処女出版の『クロディーヌ』のシリーズは夫の筆名で世に出され、夫婦の合作とも言われる。彼女は1923年まで「コレット・ヴィリー」の名で署名した。1902年にはいち早く髪を短く切る流行を取り入れ、母を嘆かせている。1906年に浮気なバイセクシャルの夫と別れ、パリのミュージック・ホールでパントマイムや踊り子として活躍を始めた。このころの愛人は、ナポレオン3世の姪にあたるモルニー侯爵夫人マティルド(ミッシー)で、二人は舞台で共演することもあった。
1912年、新聞の主筆アンリ・ド・ジュヴネルと再婚し、翌年に娘をもうけた。娘の回想によると、コレットは子供を望まず、赤ん坊を英国人の乳母に任せて家を出たきりだったという。1914年にパリ・オペラ座から新作バレエの台本を依頼され、モーリス・ラヴェルに作曲を呼びかけた。ラヴェルはこれをオペラに膨らませることを提案し、彼女も受け入れた。こうして生まれた『子供と魔法』は、1925年3月21日に初演された。1924年にはジュヴネルの連れ子ベルトランとの仲が取りざたされて離婚となり、この関係に着想を得たのが『青い麦』である。1935年に17歳年下のモーリス・グドケと再々婚し、この結婚生活は幸福だった。
生涯にわたって挑発的な人物で、結婚生活のかたわらで同性との恋愛も重ねた。一方、第一次世界大戦中はジャーナリストとして活躍し、自宅を野戦病院として開放した。第二次世界大戦では夫がゲシュタポに連行されるなどの経験があり、心ならずもヴィシー政権に協力した。1920年に『シェリ』を出版して創作が花開き、生涯に約50点の小説を出した。主題は、牧歌的な自然を舞台にしたお伽噺と、恋愛における暗い闘いに大別される。1944年の『ジジ』は後にブロードウェイで舞台化され、彼女は自らオーディションに立ち会ってオードリー・ヘプバーンを主役に抜擢した。1958年には映画にもなった。1920年にレジオンドヌール勲章のシュヴァリエを受け、1945年にアカデミー・ゴンクールに入って、のちに女性として初めて総裁を務めた。1953年には女性で初のグラントフィシエにも叙された。1954年8月3日にパリで世を去り、カトリックによる葬儀を拒んでいたにもかかわらず、8月8日に国葬が営まれ、ペール・ラシェーズ墓地に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- テオドル・ロース (1954年没)
- アグス・サリム (1954年没)
- アントニア・ド・リュクサンブール (1954年没)
- 尾崎行雄 (1954年没)
- アリスティデス・デ・ソウザ・メンデス (1954年没)
同じ地域に関係する人物
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- シルヴィア・ビーチ (1962年没)
- マルグリット・ド・プロヴァンス (1295年没)
- クロード・ブラッスール (2020年没)
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