HISTORICAL PERSON · 1956年没

フレデリック・ソディ

イギリスの化学者。放射性元素の研究でアルファ崩壊やベータ崩壊を見出し、1921年に同位体の理論などでノーベル化学賞を受賞した。

生涯
1956年没
死亡地
イギリス連邦(イースト・サセックス / ブライトン)
出生地
イギリス連邦(イーストボーン)
出典
世界地図
イギリス連邦(イースト・サセックス)

伝記

フレデリック・ソディは、1877年9月2日にイングランドのイーストボーンで生まれたイギリスの化学者である。15歳のとき、将来は技師になろうとイーストボーン・カレッジに入学した。2年後にユニヴァーシティ・カレッジへ移って科学と古典学を学び、さらにオックスフォード大学マートン・カレッジでオドリング教授のもと有機化学を学んで、学士の学位を得た。当時のオックスフォードでは古典文学や神学、政治学が主流で、自然科学は振るわなかった。そこでソディは、カナダのトロント大学に化学教師の空席があると知り、招かれたわけでもないのに一方的に乗り込んだが、数日前に前任者が復帰しており、この企ては徒労に終わった。あきらめて帰国する途中に立ち寄ったモントリオールのマギル大学でハリントン教授に事情を話すと、運よく化学助手に欠員があり、年俸100ポンドで採用された。1900年のことである。

マギル大学では、物理学教授アーネスト・ラザフォードと放射性崩壊の研究を行った。ふたりは、放射性元素の特異な性質が他の元素へと崩壊することによって起きることを明らかにした。放射性物質が発見された当時、誰もその原因が分からなかったのである。原子の変化が実際に起きていることを証明するため、慎重に研究を進める必要があった。成果は1902年に「原子壊変説」として発表された。ソディの研究と放射性物質についての新たな知見を分かりやすく紹介した評論は、H・G・ウェルズの小説『解放された世界』に大きなインスピレーションを与えた。1903年には、ウィリアム・ラムゼーとロンドンで、ラジウムエマネーションの崩壊によりヘリウムが生成することを確認している。

1904年から1914年まで、ソディはグラスゴー大学で講師を務めた。この間に、ウランがラジウムへ崩壊することを示し、両者の間にウランX2が存在することを発見した。さらにイオニウムの周期律表上の位置と半減期を決めた。また、放射性元素が化学的性質が同一でも複数の原子量を持ちうることを示し、この概念を「同じ場所」を意味する「アイソトープ」と名づけた。この名はマーガレット・トッドの示唆によるものである。ソディは、アルファ崩壊では原子番号が2つ小さい方へ、ベータ崩壊では1つ大きい方へ原子が遷移することも示した。これは放射性元素群の関係を理解する上での基礎となる一歩だった。

1914年にアバディーン大学の教授に任命され、第一次世界大戦に関連した研究を行った。1919年に化学の教授としてオックスフォード大学に移り、1936年に退職するまで務め、研究室と講義要目の再編も手がけた。1921年には、放射性崩壊の研究と同位体の理論の定式化への貢献により、ノーベル化学賞を受けた。1910年に王立協会会員になり、1936年には「サー」の称号を授与されている。

1921年から1934年にかけては、経済学について物理学、とりわけ熱力学の法則に基づく見解を4冊の著書で示した。当時は「変人」として痛烈に退けられた。その主張の核心は、金本位制を捨てて国際為替市場を変動相場制に移し、消費者物価指数を含む経済統計の部局を設けるというもので、今日ではごく普通に実施されている。放射化学と経済学の背後には貧困問題への一貫した関心があったとの指摘がある。若いころは原子力開発でエネルギー問題と貧困問題を解決できると考えていたが、やがて貧困は富の総量ではなく配分の問題だと考え、経済学に転じたという。1956年9月22日にブライトンで亡くなった。

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