伝記
アラン・アレクサンダー・ミルンは、1882年1月18日にロンドン西北部のキルバーンで生まれたイギリスの作家である。児童文学のほか、推理小説、詩、戯曲も手がけたが、日本では童話や童謡で有名で、代表作は『クマのプーさん』シリーズと『赤い館の秘密』である。祖父は長老派教会の牧師で、宣教師をしたのちに学校を12校経営した。父ジョン・ヴァイン・ミルンは、キルバーンの私立男子校ヘンリー・ハウスの校長で、母サラ・マリアは農家の娘だった。母は求婚されてから1年以上たってようやく承諾したという。ミルンは3人兄弟の末っ子で、兄のケンとともに父の学校に入学し、学校生活を送った。2歳で自分で本を読むことを覚えたと伝えられる。もともとは主に劇作家であり、プーさんの大成功がそれ以前の仕事を覆い隠したとされる。
子供の頃には、この学校に理科の教師として赴任していたH・G・ウェルズに教えを受け、大きな影響を受けた。ウェストミンスター・スクールを経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進み、数学の奨学金を得て1903年に数学で学位を取った。しかし関心は常に文章にあり、学生時代から学内誌に詩や随筆を投稿して作家を志した。兄のケンと共同で書いた記事もあった。大学在学中から英国のユーモア漫画誌『パンチ』に投稿し、1906年にその編集部に加わり、のちには編集助手となった。その後、作家として独立した。クリケットの名手としても知られ、作家たちのアマチュアチームでは、J・M・バリーやアーサー・コナン・ドイルらとともにプレーした。
第一次世界大戦では陸軍の将校として従軍し、1916年にはソンムで通信将校を務めたが、塹壕熱にかかって本国に送還された。回復後は通信の教官となり、1917年から翌年にかけては軍の情報部門で宣伝記事を書いた。1913年にドロシー・ド・セリンコート(通称ダフネ)と結婚し、1920年8月21日に1人息子のクリストファー・ロビンが生まれた。かの有名な『クマのプーさん』は、この息子のために書かれた。息子がロンドン動物園で、愛想のよい熊に夢中になったことが着想のきっかけになったと伝えられる。
1920年代半ばまでに、彼は18編の戯曲と3編の長編小説を発表しており、その中には推理小説『赤い館の秘密』(1922年)がある。1924年にはパンチ誌の挿絵画家シェパードの絵を添えた児童詩集『クリストファー・ロビンのうた』を出し、1925年には『こどもの情景』を刊行した。プーさんの物語の一部も、同年に初めて発表された。1925年にはサセックスの農場を買い、のちに家族で暮らした。第二次世界大戦中は民兵組織の大尉を務め、隊員には「ミルンさん」と呼ばせたという。大戦後には戦争を糾弾する『名誉ある平和』(1934年)を著したが、1940年の『名誉ある戦争』ではその主張をやや撤回した。また第二次大戦中には、ナチスに捕らえられたクリケット仲間の作家ウッドハウスがドイツから放送を行ったことを、敵国への協力にほぼ等しい行為だと批判した。1952年に脳卒中と脳の手術を受けて病床に就き、1956年1月31日に没した。プーさんの原稿は、母校トリニティ・カレッジの図書館に遺贈された。
同じ年に亡くなった人物
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- マリア・ヘンリエッタ・フォン・エスターライヒ (1956年没)
- ヴァイオレット・ギブソン (1956年没)
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- デヴィッド・ゲメル (2006年没)
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