伝記
ヴィア・ゴードン・チャイルドは、1892年4月14日にシドニーで生まれ、1957年10月19日に没したオーストラリア出身の考古学者である。ヨーロッパ先史時代の研究を専門とし、生涯の大部分をイギリスで過ごした。生涯に26冊の著書を著し、新石器革命(食料生産革命)と都市革命の概念を提唱したことで知られる。
イギリス系の中流の家庭に生まれ、父スティーヴン・ヘンリー・チャイルドは国教会の牧師、母ハリエット・エライザ(旧姓ゴードン)は裕福な家の出であった。唯一の生き残った子で、五人の異母きょうだいとともに、ブルー・マウンテンズのウェントワース・フォールズにある父の広壮な別荘で育った。病弱で、数年間は自宅で教育を受けたのち、1907年にシドニーの国教会系グラマー・スクールに入り、良い成績を収めたが、容姿や体格のために級友にいじめられたという。1910年7月に母が亡くなり、父はまもなく再婚した。父との間は、とくに母の死後はぎくしゃくし、牧師で保守的な父と、無神論者で社会主義者の息子とは、宗教や政治をめぐって対立した。
シドニー大学で古典学を学んだのち、イギリスに渡ってオックスフォード大学で古典考古学を学んだ。そこで社会主義運動に傾き、第一次世界大戦は帝国主義国どうしの争いで、ヨーロッパの労働者階級を犠牲にするものだとして反戦運動を行った。1917年にオーストラリアへ戻ったが、社会主義の活動のために大学に職を得られず、労働党の政治家ジョン・ストーリーの私設秘書として働いた。やがて労働党に批判的になり、その政策を分析する文章を書いて、急進的な労働組織に加わった。1921年にロンドンへ移り、王立人類学協会の司書を務めながらヨーロッパ各地を旅して先史時代を調べ、論文や著書にまとめた。この過程で、遺物の一定のまとまりが特定の文化集団を示すという、大陸ヨーロッパの考古学文化の概念を、イギリスの学界に紹介した。
1927年から1946年までエディンバラ大学のアバクロンビー教授を務め、スコットランドや北アイルランドの遺跡の発掘を指導した。新石器時代のオークニー諸島に注目し、スカラ・ブレイの集落跡や、メスハウとクォイネスの羨道墓を発掘している。1934年にはスチュアート・ピゴットらとともに先史学会を創設し、初代会長となった。1936年に『文明の起源』を、1942年に『歴史のあけぼの』を著した。1944年にはトーマス・ハックスリー記念賞を受けた。1947年からは、ロンドンの考古学研究所の所長を、1957年まで務めた。
マルクス主義を受け入れ、文化史的な考古学から離れて、史的唯物論などを考古資料を解釈する枠組みとした。西側の考古学者としてはじめてのマルクス主義考古学の提唱者とされ、異端視もされた。ソビエト連邦に共感して何度か訪れたが、1956年のハンガリー動乱ののちには、その外交政策に懐疑的になった。こうした信条のために、講演に何度も招かれながらアメリカへの入国を法的に禁じられた。退職後はオーストラリアのブルー・マウンテンズに戻り、そこで自ら命を絶った。解釈の多くはのちに退けられたが、考古学者たちからは今も広く尊敬され、その概説書は日本の考古学の方法論にも大きな影響を与えた。
同じ年に亡くなった人物
- ジョニー・トーリオ (1957年没)
- 豊田副武 (1957年没)
- ジェイムズ・コックス (1957年没)
- エツィオ・ピンツァ (1957年没)
- モリス・ガラン (1957年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョセフ・メイデン (1925年没)
- トーマス・バタースビー (1974年没)
- マージョリー・コックス・クロフォード (1983年没)
- アデラ・パンクハースト (1961年没)
- ロバート・ヘルプマン (1986年没)