伝記
ロナルド・コールマンは、1891年2月9日にイングランドのサリー州リッチモンドで生まれ、1958年5月19日に没したイギリスの俳優である。本名はロナルド・チャールズ・コールマンという。舞台と無声映画から出発してアメリカに移り、ハリウッドで成功した。独特の心地よい声に助けられてトーキーへの移行にも成功し、1930年代から40年代に最も人気があった。トレードマークの口ひげは、日本で「コールマンひげ」と呼ばれた。
絹織物商でマントの製造も営むチャールズ・コールマンと、妻マージョリー・リード・フレイザーの子として生まれた。成長した姉妹や兄弟には、グラディス、イーディス、エリック、フリーダがいた。その後、一家はイーリングに移り住んだ。ハドリー・ハウス校で学ぶうち、内気ながら芝居が好きなことに気づき、のちイーリングの学校で教育を受けた。ケンブリッジ大学で工学を学ぶつもりだったが、1907年に父が肺炎で急死し、学費の工面ができなくなって断念した。
ロンドンの海運会社の事務員として働きながら、1909年にロンドン・スコティッシュ連隊に入り、4年間所属した。そのころから舞台にも立ち、1909年から1914年にかけて、イーリングで演芸会や素人芝居の一員として知られるようになった。慈善演奏会でのバンジョーの独奏から始め、いくつかの芸人の一座に加わった。1912年には、ワイト島で友人たちと一座をつくって自分で演出し、歌や二重唱、音楽つきの独白、詩の朗読、笑い話のほか、ディケンズの作中人物を演じる寸劇を得意とした。「ディケンズの夕べ」では、『二都物語』の三つの場面でチャールズ・ダーネイを演じている。
第一次世界大戦が始まると、翌日に会社を辞めて連隊に戻った。1914年10月、イーペルの前線で、砲弾の爆発で生き埋めになったが、無傷で掘り出されたと伝えられる。翌日のメシヌの戦いで右足首に重傷を負い、これがもとで足を引きずるようになり、俳優の仕事のあいだ、それを隠そうとしたという。ロンドンの病院で治療を受け、1915年5月に兵役に耐えないとして除隊し、年金を与えられた。軍の記録には、品行が「非常によく、誠実で、酒を慎み、信頼できる」と記された。
回復後はロンドンの舞台に出演するようになり、1920年代から数々の映画に出て、イギリスやアメリカのほか日本など世界各国で高い人気を得た。1947年の『二重生活』でアカデミー主演男優賞を受けた。ハリウッドの殿堂には、映画とテレビでの業績によって二つの星がある。
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