伝記
ジョン・ブローダス・ワトソンは、1878年1月9日にアメリカのサウスカロライナ州トラベラーズ・レストで生まれた心理学者で、行動主義心理学の創始者である。父ピケンズは酒に溺れる人物で、ジョンが13歳のときに家族を捨てて出ていった。母エマは信仰に厚く、飲酒や喫煙、ダンスを禁じる厳格な人で、息子に有名なバプテスト派の牧師にちなんだ名をつけ、福音を説く者になることを願った。厳しい宗教教育はのちに宗教全般への生涯の反感を育て、彼は無神論者になったとされる。貧しさから抜け出そうと、母は農場を売って彼をグリーンヴィルの町に連れていった。孤立した農村から人口八千人の町に出たことで、さまざまな人に接する機会を得、のちの心理学の理論を形づくるのに役立てたという。
学校の成績は悪く、高校時代には二度逮捕されたが、母の人脈でグリーンヴィルのファーマン大学に16歳で入学した。心理学の講義を少し取ったものの目立つ学生ではなく、自分でも出来の悪い学生だと考え、学費のために学内でいくつか仕事をした。それでも早熟で、21歳で修士の学位を得て大学を去った。卒業後は一年間、グリーンヴィルの一教室だけの学校で校長兼用務員をつとめ、のちにシカゴ大学の学長に請願して入学した。ここでジョン・デューイのもとで哲学を学び始め、デューイやジェームズ・ローランド・エンジェル、ジャック・ローブらの影響を受けて、行動を客観的に記述する分析の立場を築いていった。大学院ではエンジェルのもとで機能主義を学んでいる。
1907年から1920年までジョンズ・ホプキンス大学の教授を務めた。第一次世界大戦中は軍隊にいた時期もあり、短い在任期間のわりに生産性は際立っていたとされる。1913年にコロンビア大学で行った講演「行動主義者から見た心理学」で、それまで主流だった内観によって意識を研究する心理学ではなく、観察可能な刺激と反応に着目する自然科学としての心理学を提唱し、行動主義心理学を創始した。心理学の目的は行動の法則を定式化し、行動を予測してコントロールすることだと論じ、行動の単位は刺激と反応の結合だとした。この考えには、パブロフの条件反射説の影響があった。発達についても、健康な乳児十二人と適切な環境さえあれば、才能や先祖などの遺伝的とされるものと関係なく、医者から泥棒までどんな人間にも育てられると唱え、その極端さを非難された。1915年にはアメリカ心理学会の会長に就任している。
1920年にはレイナーと連名で「条件付けられた情動反応」を発表した。生後11か月の幼児アルバートに、白いネズミを触ろうとするたび背後で鋼鉄の棒を叩いて大きな音を立てる実験を行い、アルバートがネズミだけでなくウサギや毛皮のコートにまで恐怖を示すようになったとする。同じ年、教え子ロザリー・レイナーとの関係が妻に知れて新聞の一面を飾り、10月にジョンズ・ホプキンス大学を辞職するよう求められた。1921年に離婚が成立するとレイナーと結婚し、以後は広告代理店で働いて、65歳で引退するまで活躍した。レイナーは1935年に36歳で亡くなった。晩年の1957年にはアメリカ心理学会の金メダルを受け、1958年9月25日にニューヨークの病院で80歳で死去した。
同じ年に亡くなった人物
- 谷山豊 (1958年没)
- ドリス・ハンフリー (1958年没)
- リディア・リプコフスカヤ (1958年没)
- 横山大観 (1958年没)
- モーリス・ガムラン (1958年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・ケムラー (1890年没)
- ハミルトン・フィッシュ (1893年没)
- チャールズ・レイドパス (1975年没)
- アルバート・ビアスタット (1902年没)
- ルーカス・フォス (2009年没)