HISTORICAL PERSON · 1960年没

ファウスト・コッピ

イタリアの自転車ロード選手で「チャンピオンの中のチャンピオン」と呼ばれた。ツール・ド・フランス総合優勝2回、ジロ・デ・イタリア総合優勝5回を果たした。

生涯
1960年没
死亡地
イタリア共和国(アレッサンドリア県 / トルトーナ)
出生地
イタリア共和国(カステッラーニア)
出典
世界地図
イタリア共和国(アレッサンドリア県)

伝記

アンジェロ・ファウスト・コッピは、1919年9月15日にイタリア北西部ピエモンテ州のカステッラーニアで生まれ、1960年1月2日にトルトーナで没した自転車競技の選手である。おもにロードレースで活躍し、「カンピオニッシモ」(チャンピオンの中のチャンピオン)と呼ばれた、イタリアスポーツ界の伝説的な英雄である。

貧しい農家の五人の子の四番目に生まれ、12、13歳のころから畑仕事を手伝った。最初の自転車は古いもので、同郷の英雄コスタンテ・ジラルデンゴに憧れた。14歳で近くの町ノーヴィ・リーグレの肉屋に勤め、毎日自転車で往復しながら配達もした。1935年、商船の士官だった叔父が、自転車への関心を見て400リラをくれ、レース用の自転車を買った。1937年にライセンスを持たない選手向けのレースに出て、その年の最後のレースで初めて勝った。1938年にカステッラーニアへ戻ってアマチュアのライセンスをとり、年末に初勝利を挙げた。この年から、肉屋の客で知り合いだった盲目のマッサージ師ビアジョ・カヴァンナが彼の面倒を見るようになった。1939年、ピエモンテ一周レースで、前年のツール・ド・フランスの覇者ジーノ・バルタリに食らいついて第3位となり、その夜、バルタリのチームの監督と契約を結んだ。

1940年、19歳でジロ・デ・イタリアの総合優勝を果たす鮮烈なデビューを飾った。1942年にはアワー・レコードに挑んで、時速45.798キロの記録をつくり、14年ぶりに世界記録を更新した。しかし第二次世界大戦の激化で、競技は中断された。1946年に活動を再開し、ミラノ~サンレモとジロ・ディ・ロンバルディアを制した。1947年にジロの二度目の総合優勝を果たし、1949年にはツール・ド・フランスとジロの両方で総合優勝して、史上初の「ダブルツール」を達成した。ジロ・ディ・ロンバルディアでは四連覇を成し遂げた。1952年には二度目のダブルツールを達成し、ツールでは2位に28分もの大差をつけた。ラルプ・デュエズが初めてツールに組み込まれた年でもあり、その山頂ゴールで優勝している。1953年にはジロで5回目の総合優勝を果たし、世界選手権も制した。ツール・ド・フランスの総合優勝は2回、ジロ・デ・イタリアの総合優勝は5回を数える。バルタリは強力なライバルで、対照的な二人はイタリアの人気を二分した。コッピは最初バルタリの助手を務めていた。レース以外でも体調管理に気を配り、栄養や昼寝を欠かさなかったが、ドーピングの面では、戦後にアンフェタミンを服用していたと、のちに告白している。

1950年代半ばから調子を落とした。1951年には、弟でチームメイトのセルセがレース中に転倒し、ホテルに戻った後、脳出血で亡くなった。1953年には、浮気で妻と別居したことが明るみに出た。1955年のジロでの1勝を最後に勝利から遠ざかった。1959年末、サイクリングと狩りを楽しむために滞在したアフリカのオートボルタでマラリアに感染し、帰国後に発症して、診療のミスによりトルトーナの病院で亡くなった。ジロの最高峰の峠は「チマ・コッピ」と呼ばれ、功績をたたえる碑も各地に建てられている。

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