HISTORICAL PERSON · 1961年没

ブレーズ・サンドラール

スイス出身でフランスに帰化した詩人・小説家・旅行家。長詩『ニューヨークの復活祭』はアポリネールにも影響を与えたとされる。第一次大戦で右手を失った。

生涯
1961年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
スイス連邦(ラ・ショー=ド=フォン)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ブレーズ・サンドラールは、1887年9月1日にスイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれ、のちにフランスに帰化した詩人、小説家、旅行家である。本名はフレデリック・ルイ・ソーゼルといい、ブレーズ・サンドラールという筆名は、燃えさしと灰から周期的によみがえる不死鳥を連想させるものだとされる。ベルン出身の家系の裕福な家庭に生まれたが、家族は不和で落ち着かない雰囲気のなかにあった。父は旅の多い不安定な実業家で、一家は各地を転々とし、母は神経衰弱ぎみで子供たちに無関心だったという。ドイツの寄宿学校では脱走し、ヌーシャテルの商業学校にも身が入らなかった。

学業の成績が悪かったため、1904年、17歳の時にモスクワを経てサンクトペテルブルクへ修業に出された。革命の熱気に満ちたこの街で、1907年までスイス人の時計商のもとで働いた。帝室図書館に通ううちに、司書にすすめられて書くことを始め、自分の読書や思索を書き留めるようになったという。ロシアでは若い女性にフランス語を教えたが、1907年に帰国して数か月後、その女性は火事で亡くなっている。ベルン大学で医学を学んだ時には、精神病院に入っていた画家アドルフ・ヴェルフリと出会った。この人物は、のちの小説に登場する怪人のモデルのひとつではないかとされる。1911年にはニューヨークで最初の長詩を書き、これは1912年にパリで発表された。『ニューヨークの復活祭』と呼ばれるこの詩は、アポリネールにも影響を与えたとされる。

その後は世界各地を放浪し、ロシア、中国大陸、ブラジルなどを旅した。最終的にパリを活動の場として、創作の傍らで、シャガール、レジェ、モディリアーニなどの文化人と交流した。1913年に最も有名な詩『シベリア鉄道とフランスの小さなジャンヌの散文』を発表した。第一次世界大戦が始まると、外国人志願兵としてフランス軍に入り、のちに外人部隊に編入されたが、1915年に重傷を負い、右腕を失って除隊となった。この経験は、最初の散文作品『切り取られた手』の元になった。翌1916年にフランス国籍を取得し、1919年に処女詩集『全世界』を発表した。戦後は映画や舞台にも関わり、バレエ・スエドワのために、アフリカの創造神話に基づく台本『世界の創造』(1923年)を手がけた。音楽はミヨー、美術はレジェである。

1924年からブラジルを旅し、1925年に小説『金』を出して、世界的な成功を収めた。これは、スイス出身の富豪サッターが、自分の土地での金の発見によって破滅する数奇な運命を描いた作品である。1926年の『モラヴァジーヌ』と併せて、冒険小説家として知られるようになった。1930年代には大報道記者として活動し、1939年には英国軍の従軍記者となった。戦後はエクス=アン=プロヴァンスで沈黙したのち、1943年に回想録を書き始め、『雷に打たれた男』(1945年)、『切り取られた手』(1946年)、『世界の果てにつれてって』(1948年)などを次々に発表した。1950年にパリへ戻り、フランスのラジオ放送にもたびたび協力した。脳の発作に続く二度目の発作の後遺症により、1961年1月21日にパリで亡くなった。

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