HISTORICAL PERSON · 1963年没

カルメン・アマヤ

スペインのフラメンコダンサー・歌手。バルセロナのロマの家系に生まれ、8歳でパリでデビュー。ブロードウェイやハリウッド映画でも活躍した。

生涯
1963年没
死亡地
スペイン王国(ジローナ県 / ベグール)
出生地
スペイン王国(Q3753065)
出典
世界地図
スペイン王国(ジローナ県)

伝記

カルメン・アマヤは、スペインのフラメンコ・ダンサー、歌手で、20世紀に国際的に最も大きな影響を与えたバイラオーラ(フラメンコの女性舞踊家)のひとりとされる。バルセロナで生まれ、没年は1963年11月19日である。生年は1913年11月2日とも1918年11月2日ともいわれ、1913年説は没後に根拠なく書かれたものだとの指摘がある。1929年の映画に出てくる彼女は11歳を大きく超えているようには見えないからである。若い年齢のために法的に働けなかったことも、公式の記録が実際と合わない可能性につながっているという。

彼女はバルセロナのソモロストロ地区のバラックで育った。父はギター奏者、母は家事のかたわら、家族の間でときおりサンブラを踊った。一家はロマの家系で、アマヤ家はグラナダのサクロモンテに由来するとされる。夫婦には7人の子供がおり、兄のパコはギタリスト、カルメンを含む姉妹や弟はみな舞踊家となった。母の姉妹のフアナは、「ラ・ファラオナ」の名で、堂々とした風格と踊りの才能で知られていた。幼い頃は「ラ・カピタナ(女親分)」とあだ名され、父のギターに合わせて踊りながら歌った。4歳の頃から夜になると父と出かけ、居酒屋で父が弾き、小さなカルメンが歌って踊り、観客が床に投げる硬貨を拾い集めた。

間もなく、格式の低い劇場にも出るようになった。本人の言葉によれば、パラレロの劇場で、喜劇一座の興行師ジョゼップ・サンペールの一座で初舞台を踏み、彼が彼女を見出して、より高い格付けの舞台へ導いたという。パリに渡って大成功をおさめ、映画監督ベニート・ペロホの目にとまって、叔母や従姉妹と組んだ三人組で、1929年の映画『ラ・ボデガ』に出演し、サンブラを踊った。早くから、ラケル・メジェールなど、すでに有名な人気者とも共演している。1931年には、批評家セバスティア・ガシュが雑誌に称賛の記事を書き、その才能が広く認められた。舞踊家ビセンテ・エスクデロは、彼女が、古い時代の女性舞踊家と、足さばきの激しい男性舞踊家の様式の総合を体現しているとして、フラメンコの舞踊に革命を起こすだろうと断言した。1930年にはマヌエル・バリェホの一座に加わって、スペイン各地を巡業した。1929年のバルセロナ万国博覧会に関連した催しにも出演し、興行師の企画した巡業で各地の都市を回った。1935年にはマドリードで、全国的な名声を決定づけたとされる舞台に立ち、同じ年、映画『フアン・シモンの娘』にも出演した。

同じバイラオーラのラ・チュンガは従姉妹にあたる。第二共和政の到来は一家の暮らしを好転させ、新聞も彼女を取り上げるようになった。映画では1936年に『マリア・デ・ラ・オ』にも出ている。同年にスペイン内戦が勃発すると、家族とともにアメリカへ移住した。1941年にニューヨークのブロードウェイでデビューし、1944年にはハリウッド映画に出演した。1947年に故郷のスペインへ戻っている。最後の映画出演は、1963年の『バルセロナ物語』である。一人の人物を中心に映画が作られることは珍しく、彼女の出演作は、フラメンコの舞踊を後世に伝える重要な記録とされている。

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