伝記
クライブ・ステープルス・ルイスは、1898年11月29日にアイルランド北部のベルファストで、事務弁護士の家に生まれた。ルイス家は19世紀半ばの祖父の代にウェールズから渡ってきた移民で、幼い頃に亡くなった母は、アイルランド国教会の司祭の娘だった。3歳の頃、愛犬ジャクシーを交通事故で失った直後から自らをジャクシーと名乗りはじめ、それが周囲にも受け入れられて、家族や友人からは生涯、ジャックと呼ばれた。子供の頃は、3歳上の兄ウォレン(愛称ウォーニー)と一緒に想像の国を作り、その物語を書いて遊んだ。
パブリック・スクールには馴染めず、元ラーガン大学校長で父の個人講師を務めていたカークパトリックから個人教育を受けて、オックスフォード大学に進み、古典語と英文学の双方で最優等の成績を取った。第一次世界大戦に従軍したのちに大学へ戻り、モードリン・カレッジで英文学の特別研究員となって、のちに『指輪物語』の作者となるJ・R・R・トールキンと知り合った。1954年にはケンブリッジ大学へ移り、中世・ルネサンス英文学の主任教授を務めた。この間の1950年から1956年にかけて、全7巻の『ナルニア国ものがたり』を出版している。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞した。ほかに、『沈黙の惑星を離れて』などの別世界物語の三部作や、『愛とアレゴリー』のような中世文学の研究書がある。
信仰の面では、幼い頃はアイルランド国教会のキリスト教を信じていたが、14歳で無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持つようになった。その後さまざまな書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳でイングランド国教会のもとで再びキリスト教の信仰を持つに至った。『奇跡』(1947年)、『悪魔の手紙』、『キリスト教の精髄』、自伝『喜びのおとずれ』などの神学書や、ラジオ講演を通じて、信徒伝道者として信仰を伝えた。ラジオの連続講義で披露した新プラトン主義的な見解は、スイスの弁証法神学者カール・バルトから激しい反撥を受けている。
第二次世界大戦後、ルイスの愛読者で、離婚歴のある17歳年下のアメリカ人詩人ジョイ・デイヴィッドマン・グレシャムと知り合い、1956年に結婚した。当初は、骨髄癌に侵されたジョイが英国籍を得るための形式的な結婚で、式も入院中の病室で質素に行われた。しかし互いの愛情は徐々に深まり、ルイスはジョイを「唯一の女性」と呼んで愛しんだ。ジョイに離婚歴があり、当時は非キリスト教徒でもあったことから、周囲の非難を浴びた。創作をめぐって関係が悪化していたトールキンとも、これを機に断交している。ジョイは結婚からわずか4年後の1960年に45歳で亡くなり、ルイスは別名義の書『悲しみを見つめて』で彼女の死を悼んだ。この物語は戯曲と、その映画化作品『永遠の愛に生きて』に描かれて、広く知られる。
ジョイの死から3年後の1963年の半ば、ルイスは心筋梗塞で倒れて昏睡状態になった。翌日には意識を回復して退院したが、回復の兆しが見えず、辞職を決意した。診断では、3年前に患った腎炎の後遺症で慢性腎不全になっており、体力は徐々に失われていった。65歳の誕生日の1週間前にあたる1963年11月22日に死去し、遺体はオックスフォード郊外ヘディントンの教会に埋葬された。米国聖公会では聖人に叙せられ、命日の11月22日が祝日とされている。
同じ年に亡くなった人物
- カール・スコッツベリ (1963年没)
- ライタ・ラースロー (1963年没)
- メアリー・アグネス・チェース (1963年没)
- ディック・パウエル (1963年没)
- ティック・クアン・ドック (1963年没)
同じ地域に関係する人物
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- ロバート・ブリッジズ (1930年没)
- アルバート・ヴェン・ダイシー (1922年没)
- チャールズ・ハロルド・ドッド (1973年没)
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