伝記
ブライアン・エプスタインは、1934年9月19日にリヴァプールで生まれたイギリスの実業家で、ビートルズのマネージャーとして最もよく知られる。メンバーからは「エピー」の愛称で呼ばれていた。父方の祖父アイザックは、リトアニアからイギリスに移住したユダヤ人で、息子のハリーとリヴァプールで家具店を経営していた。ポール・マッカートニーの家族もそこでピアノを買ったという。ブライアンはハリーと妻クイーニーの長男として生まれ、1936年に弟クライブが生まれた。第二次世界大戦中、一家はサウスポートなどに疎開し、戦争の終わりが近づく頃にリヴァプールへ戻った。
ユダヤ系の小学校を卒業した後、シュロップシャーのパブリックスクールに入ったが、服飾デザイナーになりたいと手紙を家に送り、2年次で退学した。夢は父に反対され、1950年9月から実家の家具店で働き始めた。週給5ポンドの家具販売は本意ではなかったが、鏡を買いに来た女性に12ポンドのテーブルを売ったことで、仕事の楽しさを知るようになった。1952年12月に徴兵されて陸軍に入ったが、隊規違反を起こし、精神鑑定の結果、同性愛者とされて除隊となった。生前は公表されなかったが、彼は同性愛者だった。以後は家具店のレコード販売事業を担当した。1956年には俳優を志してロンドンの王立演劇学校に入学したが、3学期で挫折した。同期には、スザンナ・ヨークやアルバート・フィニー、ピーター・オトゥールらがいた。リヴァプールに戻ると、父が電気製品の分野に進出して「ネムス」と名づけた店の、レコード販売部門の責任者となった。1961年8月からは、地元の雑誌に音楽コラムの連載を始めた。
ビートルズを知った経緯については、自伝によれば、1961年10月28日にファンの青年が、ビートルズが伴奏したシングルを店に買いに来たのが最初だった。店には置いておらず、エプスタインは友人とともに11月9日にキャヴァーン・クラブを訪れた。演奏を見た彼は、すぐに彼らの音楽やビート、ユーモアのセンスに打たれたと語っている。ただし、この説は信憑性に乏しいとも言われ、雑誌がすでにビートルズを特集していたことから、そこで興味を持ったとする意見もある。1961年12月10日に2代目のマネージャーとなり、1962年1月24日に5年間のマネジメント契約を結んだが、彼は署名せず、いつでも契約を解除できる権利をメンバーに与えた。1962年6月26日、弟のクライブを共同経営者に迎えて、会社を設立した。
当時のビートルズは、ジーンズと革ジャケットで騒がしい演奏をしていた。エプスタインは不良のイメージを払拭するため、背広とネクタイを着せ、客前での喫煙をやめさせ、演奏の終わりに一礼させた。レコードデビューにあたってはピート・ベストを解雇し、リンゴ・スターを加入させた。1967年8月27日、アスピリンの過剰摂取で死去し、32歳だった。自殺ではないかとしばしば推測されたが、検死の結果、死因は偶然の事故とされた。メンバーは自殺説を否定している。彼はビートルズの経歴のあらゆる面を管理しており、その死後にメンバーの対立が表面化したことが、解散の要因になったともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- ヤロスラフ・ヘイロフスキー (1967年没)
- ジュリアン・デュヴィヴィエ (1967年没)
- カーソン・マッカラーズ (1967年没)
- レジナルド・デニー (1967年没)
- ニコル・ベルジェ (1967年没)
同じ地域に関係する人物
- ジャック・シェパード (1724年没)
- ウィリアム・ダッデル (1917年没)
- ウィリアム・ハンター (医学者) (1783年没)
- ノーマン・マルコム (1990年没)
- ロビン・ギブ (2012年没)