HISTORICAL PERSON · 1967年没

ハーマン・J・マラー

ショウジョウバエへのX線照射で人為突然変異を誘発できることを発見し、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアメリカの遺伝学者。精子バンクの提唱者でもある。

生涯
1967年没
死亡地
アメリカ合衆国(インディアナ州 / インディアナポリス)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(インディアナ州)

伝記

ハーマン・ジョーゼフ・マラーは、1890年12月21日にニューヨークで生まれたアメリカの遺伝学者である。父は金属の職人で、父方の祖先はカトリック教徒としてコブレンツからアメリカに渡り、母方は、スペイン・ポルトガル系のユダヤ人と英国国教会の混じった家系だった。少年期は公立学校で優秀な成績を収め、青年期に無神論者となった。16歳でコロンビア大学に入ると、最初の学期から生物学に関心をもち、メンデルの遺伝の染色体説や、突然変異と自然選択による進化の考えにいち早く共鳴した。生物学クラブをつくり、優生学の支持者にもなって、生物学と社会のつながりは生涯の関心事となった。1910年に学士号を取り、そのまま大学院に進んだ。

クラブに加わったアルフレッド・スターテヴァントやカルヴィン・ブリッジズを通じて、トーマス・ハント・モーガンの研究室でのショウジョウバエの遺伝学に関心をもち、2年の非公式な参加を経て1912年に仲間に加わった。その中で彼の貢献は主に理論的な説明や新しい実験の着想だったが、仲間内では功績が着想ではなく結果で評価されたため、主要な論文から外されて不満を抱いた。1915年から1916年の年度にかけてテキサスのライス研究所で教え、1918年にモーガンの求めでコロンビア大学に戻った。1920年からはテキサス大学オースティン校に勤め、まもなく数学教授のジェシー・ジェイコブズと結婚した。

1927年、キイロショウジョウバエの雄にX線を照射する実験を行い、放射線によって突然変異を人為的に発生させられること、その影響が子孫に伝わることを初めて証明した。突然変異がここで起きたと証明するため、性染色体が雌雄で異なることと、致死遺伝子をもっていてもヘテロ接合体なら生存できる場合があることを利用した実験だった。この発見は遺伝子が物質からできている証拠となり、のちの分子生物学の誕生にも影響を与えた。同年に科学雑誌『サイエンス』からニューカム・クリーブランド賞を受けた。また、X線による染色体への影響を観察して、逆位や欠失などの異常を記載し、その過程で染色体末端のテロメアも定義した。この功績により、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。この発見は、放射線防護で遺伝的影響を考慮する契機となった。

世界恐慌を機に社会主義に目覚め、左翼の学生新聞の発行を手伝ったことで、FBIに共産主義者として調査された。1932年にベルリンを旅行してニールス・ボーアらと会い、ナチス政権を嫌って、1933年に妻や息子とともにレニングラードへ移住した。ソ連ではニコライ・ヴァヴィロフに迎えられ、科学アカデミーなどで遺伝学の研究を指導した。しかし大粛清の時代にトロフィム・ルイセンコとスターリンらにブルジョワ的だと批判され、命の危険を悟って、1940年にスペイン経由でアメリカへ帰国した。ヴァヴィロフは犠牲となった。帰国後はアマースト大学で教え、マンハッタン計画の顧問となったが、1945年に任命を解かれた。過去の政治活動で就職は難しかったが、インディアナ大学で動物学の教職を得た。1951年に訪日し、4月10日に皇居で昭和天皇に引見を受けた。1955年にはラッセル=アインシュタイン宣言に署名した。1967年4月に没した。レニングラードに同行した秘書のレジーナは、のちにチェスの世界王者ボビー・フィッシャーの母となった。

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