HISTORICAL PERSON · 1968年没

アプトン・シンクレア

米国の小説家で、社会主義の視点から作品を書いた。『ジャングル』で食肉産業の実態を告発し、食肉検査法の成立につながった。

生涯
1968年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニュージャージー州 / バウンド・ブルック)
出生地
アメリカ合衆国(ボルティモア)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニュージャージー州)

伝記

アプトン・シンクレアは、1878年9月20日にメリーランド州ボルチモアで生まれたアメリカの小説家、ジャーナリスト、政治活動家である。多くのジャンルにわたる作品を、社会主義者の視点から書き、20世紀前半に相当の人気を得た。1906年の『ジャングル』でアメリカの精肉産業の実態を告発し、食肉検査法の成立に影響を与えた。両親は南部上流階級の出で、父方の家族は独立戦争以来の海軍軍人の伝統を持っていた。曾祖父は米英戦争で功績を挙げた准将、祖父は海軍に勤めたのち、南部連盟軍に入るために退役した大佐である。しかし一家は南北戦争後に経済的に困窮した。父は酒の販売員で、アルコール依存症が息子の幼年期に影を落とした。母は厳格な聖公会の信者で、酒や茶、コーヒーを嫌った。

一方、母方の家は裕福だったため、彼はしばしばニューヨークの母の親類の家に滞在し、アメリカ社会の両極端を経験した。この体験は、彼の著作に大きな影響を与えた。5歳の頃に読書を好むようになり、母の持つ本を読み尽くしたが、学校に通い始めたのは10歳の時だった。数学が苦手で、恥ずかしさから懸命に追いつこうと努力したという。父の職が安定せず、一家はたびたび転居し、1888年にはニューヨーク市のクイーンズに移った。14歳の誕生日の5日前に、ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学し、学費のために、ジョークや三文小説、雑誌の記事を書いて稼いだ。17歳の時には、その収入で両親をアパートに移すことができた。口述筆記者を使って、一日に最大8,000語の大衆小説を書いたという。1897年に卒業し、コロンビア大学の大学院で法律などを学んだが、学位は得ないまま去った。

社会主義についての教育を受けられなかったことが、大学教育への唯一の不満だったと語っている。大学を離れてから4年の間に4冊の本を書いたが、批評家の評価は得られても、商業的には成功しなかった。1906年に『ジャングル』を出版すると、大きな反響を呼び、数か月後の食品医薬品法と食肉検査法の制定につながった。彼はこの本の売り上げのおよそ3万ドルを、ニュージャージー州に設立されたユートピア共同体ヘリコン・ホーム・コロニーに投資したが、不運にも、それは4か月後に火災で全焼した。1917年の『石炭王』ではロックフェラー家の人物に迫り、1919年の『ブラス・チェック』ではアメリカのジャーナリズムの不正を暴いた。この本の4年後に、記者の倫理綱領が初めて作られたという。1927年の『石油!』や、サッコ・ヴァンゼッティ事件を題材にした『ボストン』も書いた。

政治にも関わり、カリフォルニア州知事選に二度出馬した。最初はアメリカ社会党の候補で、得票はほとんど得られなかった。二度目は1934年に民主党の候補となり、貧困を終わらせる運動を掲げたが敗れた。1943年にはピューリツァー賞を受賞している。『タイム』誌は、妻メアリーの回想録を踏まえて、彼を「ユーモアと沈黙を除くあらゆる才能を持った男」と評した。日本で『ジャングル』に最初に注目したのは、幸徳秋水だったという。幸徳は全訳こそしなかったが、1906年に機関紙で、数回にわたり概要と著者を紹介した。1968年11月25日に没した。

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