伝記
オリバー・ナポレオン・ヒルは、1883年10月26日にバージニア州南西部のワイズ郡で生まれたアメリカ合衆国の自己啓発作家である。成功哲学を唱えた第一人者の一人で、『思考は現実化する』の著者として知られる。ただし、その経歴には疑問が多く、評価も分かれている。未出版の自伝では、貧しい文盲の家庭の出と書かれているが、ニューヨーク・タイムズ紙のリチャード・リンゲマンによれば、祖父は印刷業を営み、父は歯科医だった。9歳のときに母が亡くなり、2年後に父は再婚した。継母は彼を学校や教会に通わせたと伝えられる。13歳のころから山地の通信員として、父の新聞に記事を書き始めたという。
自伝によると、1908年に新聞記者として鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにインタビューしたことをきっかけに、「20年間、無償で500名以上の成功者を研究し、成功哲学を体系化してくれないか」と頼まれ、即答して引き受けた。そして約束どおり20年をかけ、1928年に執筆したとされる。ただ、この自伝はナポレオン・ヒル財団の関係者とフリーライターが書いたため、かなり美化されていると指摘される。カーネギーの伝記作家デイヴィッド・ナソーは、ヒルとカーネギーの接点を示す痕跡は一切なかったという。ヒルが多くの有名人と会ったとする主張も、1923年のエジソンとの短い面会を除いて、証拠がない。これに対し、翻訳者の田中孝顕は、当時のヒルは一介の若者にすぎず、記録がなくても当然だと反論している。
実業家としては成功しなかった。1908年、共同で興したアラバマ州の材木会社が破産手続きと詐欺の告発に直面したと、地元紙が報じた。その後ワシントンへ移り、オリバーの名を捨てて、ナポレオン・ヒルと名乗るようになったとされる。1909年には自動車大学を設立したが、1912年に閉鎖された。のちにシカゴで、ラサール通信大学で広告を教え、製菓店を共同で起業したが、パートナーと争ってうまくいかなかった。1918年には、学校の株の不正な販売を理由に、イリノイ州から逮捕状が出たと報じられた。成功の学校をつくる夢を抱いたが、浪費して実現しなかったという。結婚は少なくとも5度にのぼる。
1936年、講演会で24歳下のロザ・リー・ビーランドと結婚し、彼女の編集の助けを得て、1937年に『思考は現実化する』を出版した。この本は50年で2000万部を売ったと主張されるが、実際はもっと少ないとされる。1940年に離婚した際、結婚時にまだ貧乏だった頃の取り決めにより、莫大な印税はロザのものになった。しばらくは、教えの支持者だった保険会社の創業者の後援を受けた。1967年の『平和な心で豊かになれ!』では、見えない存在が自分を導いていると主張した。ヒルは、第一次世界大戦でウィルソン大統領のドイツとの交渉を支援し、ルーズベルト大統領の演説を手伝い、弁護士でもあったと主張したが、証拠はない。
思想は、ニューソートやエマーソンの影響を受けている。自己啓発書やビジネス成功本の業界を切り開いた人物とされ、ノーマン・ヴィンセント・ピールは熱心な信奉者だった。ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の基本的な概念の大部分も、『思考は現実化する』に由来するという指摘がある。1970年11月8日、87歳で世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- 李垠 (1970年没)
- フリッツ・コルトナー (1970年没)
- エイブラハム・ザプルーダー (1970年没)
- ドナルド・フィンレー (1970年没)
- リチャード・ホフスタッター (1970年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・ウェストモーランド (2005年没)
- ミッキー・スピレイン (2006年没)
- ジュリア・ピーターキン (1961年没)
- アレック・ジョン・サッチ (2022年没)
- ヘレン・ジョンズ (2014年没)