伝記
ハンス・メムリンクは、15世紀後半にブルッヘで活躍したフランドルの画家である。生年ははっきりせず、1430年ごろとも1440年ごろともされる。ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに続く世代の北方絵画を代表し、宗教的な主題を、華麗な色彩と細部までゆるがせにしない写実表現で描いた。
生まれはドイツのフランクフルト近郊ゼーリゲンシュタットで、主にフランドルのブルッヘで活動した。父はハンマン・モムリンゲン、母はルカ・シュティルンといい、両親は1451年ごろに亡くなった。ブリュッセルのファン・デル・ウェイデンの工房で修業したと推定されている。1465年にブルッヘの市民権を得て、1470年には「雪の聖母兄弟団」に入団した。1480年ごろには聖ヨリス通りに邸宅を購入し、同年、ブルッヘの富裕な市民227人の一人として、皇帝マクシミリアンに戦時税を納めた。1487年に妻タンナが亡くなると、財産を子供3人、ハンネキン、ネールキン、クライキンと分けた。1494年8月11日に世を去り、ブルッヘの聖ヒーリス教会に埋葬されたが、2006年の時点で墓石は行方不明である。
18世紀半ば、ジャン=バティスト・デカンは1753年刊行の画家列伝に、メムリンクが若いころは無頼の少年で、兵士となって傷つき、それを看護した聖ヨハネ病院で絵を描き始めて有名になったという伝説を記した。1845年には、それを「ナンシーの戦いで負傷した」とこじつけた者もいる。しかしこの伝説は、1922年にはフィエランス=ジェヴァールトによって、すでに「現在では意味がない」と否定されている。
作風には、シュテファン・ロッホナー、ファン・デル・ウェイデン、ファン・エイクの影響が感じられる。師のファン・デル・ウェイデンのような激しい情感の表出は見られず、画面は静寂感に満ちている。金属製の鎧の表面に映った鏡像までも執拗に描写するなど細部の精密描写に優れ、端麗な古典主義の画家という評価がある。宗教画のほか、寄進者像を中心とする肖像画にも優れたものが残る。
代表作の『最後の審判』の三連祭壇画(1467年)は、もとはフィエーゾレの教会のために作られたが、戦争による紆余曲折を経て1473年からグダンスクの聖マリア教会に飾られ、1972年以降はグダンスク国立美術館に所蔵されている。画面では、虹の玉座のキリストの周囲に聖母マリア、十二使徒、洗礼者ヨハネがおり、地上の中央では大天使ミカエルが生き返った霊魂の重さを量る。右が地獄、左が天国である。ブルッヘのメムリンク美術館には、1479年の洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連祭壇画や、1487年の『マールテン・ファン・ニューウェンホーフェの二連祭壇画』、1489年の『聖ウルスラの聖遺物箱』がある。聖遺物箱は、表面にメムリンクの描いたパネル画を取りつけたものである。1491年の受難の多翼祭壇画は、リューベックの聖アン聖堂美術館にある。ほかに、ロンドンのナショナル・ギャラリーの『ダン三連祭壇画』、マドリードのプラド美術館の『東方三博士の礼拝』、トンマーゾ・ポルティナーリらの肖像などが知られる。
同じ年に亡くなった人物
- ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ (1494年没)
- マッテーオ・マリーア・ボイアルド (1494年没)
- Ali Mirza Safavi (1494年)
- メロッツォ・ダ・フォルリ (1494年没)
- Niccolo Barbaro (1494年没)
同じ地域に関係する人物
- ヤン・プロフォースト (1529年没)
- ベアトリス・ド・ブラバン (1288年没)
- モーリス・オブ・バッテンバーグ (1914年没)
- ジェームズ・アンソール (1949年没)
- ヨニー・ティオ (2008年没)