伝記
ベーケーシ・ジェルジ、ドイツ語名ゲオルク・フォン・ベーケーシは、1899年6月3日にハンガリーのブダペストで生まれた生物物理学者である。哺乳類の聴覚器にある蝸牛の機能の研究によって、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。経済外交官だった父シャーンドル・ベーケーシと、母パウラ・マザーイの間に生まれた3人きょうだいの第1子で、妹ローラと弟ミクローシュがいた。一家はもとカルヴァン派だったが、カトリックに改宗している。ブダペスト、ミュンヘン、チューリッヒなどの学校に通い、ベルンで化学を学んだのち、1926年にブダペスト大学で博士号を取得した。1年間、技術系の会社で働き、1928年に内耳の振動のパターンに関する最初の論文を発表した。ロベルト・バーラーニからウプサラ大学の職を提示されたが、スウェーデンの厳しい冬を理由に断ったという。
第二次世界大戦の前から戦中にかけて、1923年から1946年までハンガリーの郵便局に勤め、通信信号の質に関する研究を行った。この研究を通じて、耳の仕組みに興味を持つようになった。1946年にハンガリーを離れ、研究を続けるためにスウェーデンのカロリンスカ研究所に移り、1947年にはアメリカに渡って、1966年までハーバード大学で働いた。1962年にはドイツのレオポルディーナ科学アカデミーの会員に選ばれた。1965年に研究室が火事で焼けると、ハワイのホノルルに感覚器官の研究室を率いるよう招かれ、1966年にハワイ大学の教授となった。1972年6月13日にホノルルで亡くなった。アジア美術の著名な専門家でもあり、収集した大量の美術品をスウェーデンのノーベル財団に寄贈した。弟のミクローシュはハンガリーに残り、農業生物学者としてコシュート賞を受けた。
研究の面では、蝸牛を部分的にそのまま残した状態で、死体の内耳を解剖する方法を考案した。ストロボ写真と、マーカーとして用いた銀の薄片によって、音の刺激を受けた基底膜が、表面波のように振動することの観察に成功した。蝸牛と基底膜の構造のために、異なる周波数の音は、蝸牛の螺旋に沿った基底膜上の別の場所で、波の振幅が最大になる。高い周波数の音は蝸牛の基部で、低い周波数の音は頂部で、より大きな振動を起こす。ここから彼は、異なる周波数の音波は、蝸牛から大脳へ続く神経細胞に達するまでに、部分的に分散すると結論づけた。そして、蝸牛の螺旋に沿って並ぶ聴覚細胞が、それぞれ音の特定の周波数に最もよく反応するという仮説を立てた。のちに、基底膜での周波数の分散の概念を取り入れた、蝸牛の機械的なモデルも作った。
ただし彼の理論は、聴覚のあらゆる特徴を受動的な力学現象で説明しようとしたもので、のちにデヴィッド・ケンプが、能動的なフィードバックが必要であることを示した。さらに2025年には、ジェームズ・ハッドスペスらの研究チームが、哺乳類でも内耳の周波数の分析は基底膜を進む波なしに行われることを明らかにし、ベーケーシの内耳理論は否定された。彼は1931年に耳科学のデンカー賞、1937年にベルリン科学アカデミーのライプニッツ・メダル、1939年にフローニンゲン大学のギヨ賞を受けている。
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