伝記
カール・ツィーグラーは1898年、ドイツのカッセル近郊ヘルザに生まれた。幼いころから自然科学への関心を示し、物理学の入門書を読んだことをきっかけに、自宅で実験を試みるようになった。学校では授業の範囲を越えて学び、優秀な成績を収めた。マールブルク大学に進み、第一次世界大戦中には兵士として前線に送られた時期を挟みながら学業を続け、1920年に博士号を得た。その後はマールブルク大学やフランクフルト大学で教え、1926年からはハイデルベルク大学で有機化学の研究を進めた。炭素を中心とする反応性の高い粒子や有機金属化合物を調べ、複雑な環状分子を合成する研究にも取り組んだ。1922年にはマリア・クルツと結婚し、息子と娘をもうけた。
1933年には大きな環状分子の研究をまとめ、環を作る反応に関する考え方を示した。1936年にはハレ大学の化学研究所で教授兼所長となり、シカゴ大学でも客員講師を務めた。1942年には、特定の薬品を用いて二重結合を持つ化合物の隣の位置を選択的に臭素化する反応を発表した。この反応は後にウォール・ツィーグラー反応と呼ばれる。1943年、ミュールハイム・アン・デア・ルールにあるマックス・プランク石炭研究所の所長に就き、アーヘン大学でも教授を務めた。同研究所を率いた時期は1969年まで続いた。1949年にはドイツ化学会の設立にも関わり、戦後のドイツにおける化学研究の再建を支えた。その後、同会の会長も五年間務めた。また1954年から1957年までは、石油科学と石炭化学を扱う学会の会長を務めた。
ツィーグラーの名を広く知らしめたのは、エチレンを重合させる触媒の発見である。当時、エチレンからポリエチレンを作るには高圧を用いる方法が一般的だった。1953年、彼はトリエチルアルミニウムと四塩化チタンを組み合わせることで、エチレンを高圧に頼らず重合させられることを見いだした。従来の高圧法では分岐の多い低密度のポリエチレンができるのに対し、この方法は分岐の少ない高密度のものを生み出した。高密度の素材は結晶性が高く、白く濁る特徴を持つ。ジュリオ・ナッタがこの触媒をさらに発展させ、二人の研究はツィーグラー・ナッタ触媒として知られるようになった。新しい重合反応は、高分子を工業的に製造する工程の発展にもつながった。二人は高分子化学への貢献を認められ、1963年にノーベル化学賞を共同受賞した。
ツィーグラーは1956年に日本を訪れ、昭和天皇と香淳皇后に謁見し、講演集を献上した。研究上の評価はほかにも及び、1935年にリービッヒ・メダル、1955年にラヴォアジエ・メダル、1960年にはヴェルナー・フォン・ジーメンス・リングを受けた。この賞は新しい合成材料の科学と技術への貢献をたたえるものだった。1971年にはヴィルヘルム・エクスナー・メダルを受け、同年、ロンドンの王立協会の外国人会員に選ばれた。妻とともに絵画を愛し、収集した作品のうち42点は財団に組み入れられ、ミュールハイムのツィーグラー美術館に遺贈された。家族との世界旅行を好み、日食の観測のために特別な船旅を仕立てることもあった。1972年の日食観測の船旅で体調を崩し、翌1973年8月にミュールハイム・アン・デア・ルールで死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ジュール・ラドゥメグ (1973年没)
- アイラ・ボーエン (1973年没)
- モーリス・デコブラ (1973年没)
- Albert Paris Gutersloh (1973年没)
- フランソワ・セベール (1973年没)
同じ地域に関係する人物
- Mithat Bayrak (2014年没)
- Hubert Jedin (1980年没)
- カール・トロール (1975年没)
- アドルフ1世 (クレーフェ=マルク公) (1448年没)
- Karl Friedrich Eichhorn (1854年没)