HISTORICAL PERSON · 1973年没

J・R・R・トールキン

イギリスの文献学者・作家。『ホビットの冒険』『指輪物語』の著者として知られ、オックスフォード大学の教授も務めた。

生涯
1973年没
死亡地
イギリス連邦(ボーンマス)
出生地
南アフリカ共和国(ブルームフォンテーン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ボーンマス)

伝記

ジョン・ロナルド・ルーエル・トールキンは1892年、オレンジ自由国(現在は南アフリカ共和国の一部)のブルームフォンテーンで、イギリスの銀行支店長の子として生まれた。三歳のとき、母メイベルと弟とともにイングランドへ渡ったが、父は家族と合流する前に現地で亡くなった。母は二人を育てるなかで熱心に教育し、植物や風景への関心を育み、幼い息子にラテン語の基礎も教えた。1900年、母がカトリックに改宗すると親族からの経済的援助が途絶え、1904年には母も死去した。孤児となった兄弟はバーミンガムの司祭フランシス神父に育てられた。信仰はトールキンの生涯を通じて大切なものとなり、言語への関心と自然の風景への愛着は、後年の創作を支える要素になった。

オックスフォード大学で英語を学び、1915年に学位を得た。青年期に出会ったエディス・メアリ・ブラットと婚約し、第一次世界大戦中の1916年に結婚した。同年、イギリス陸軍の将校としてフランスに渡り、ソンムの戦いでは通信を担ったが、塹壕熱を患って帰国した。自軍の兵士が激戦で次々と命を落とし、学生時代に結成した仲間の会のうち、ギルソンとスミスの二人も戦死した。療養中には、後に『失われた物語の書』と呼ばれる作品群についての着想が芽生え始めたとされる。戦後はオックスフォード英語辞典の編纂に携わり、ゲルマン系のWで始まる語の語誌や語源を主に担当した。1920年にリーズ大学の講師となり、のちに教授へ進んだ。1925年にはオックスフォード大学に移り、1945年までアングロ・サクソン語の教授を務めた。エディスとの間には四人の子どもが生まれた。

学者としての代表的な仕事に、古英詩『ベーオウルフ』を論じた講演と論文がある。当時の研究では怪物との戦いを物語の空想的な部分として軽んじる傾向があったが、トールキンは怪物が詩の主題に欠かせないと論じた。1936年の講演は翌年に論文として出版され、『ベーオウルフ』研究と古英語文学研究に時代を画するほどの大きな影響を与えたとされる。文学討論グループ「インクリングズ」にも加わり、英文学者のC・S・ルイスらと親交を結んだ。若いころの第一の創作欲は架空言語の創造で、そのうちのエルフ語の初期形態が、後にクウェンヤとシンダール語へ発展した。言語がそれを話す民族を示し、民族が物語を示すと信じていたという。ペンブローク学寮にいた時期には『ホビットの冒険』と、『指輪物語』の『旅の仲間』『二つの塔』を書いた。後年の手紙では、1911年のスイス旅行で見た山岳風景が、ビルボの旅の着想の一つになったと振り返っている。

1945年にオックスフォード大学マートン学寮の英語英文学教授となり、1959年に退職した。『指輪物語』は1948年に完成し、架空の世界「中つ国」を舞台にした物語は、詩や歴史、言語を織り込んだ広がりを持つ。カトリック信徒としての信仰を保ち、工業化がイギリスの田園にもたらす変化を嫌った。自動車を避けて自転車に乗ることを好み、田園の工業化への思いは作品にも表れた。1972年にはエリザベス二世から大英帝国勲章コマンダーを受け、1973年9月2日に死去した。没後は息子クリストファが膨大な覚え書きや未発表草稿をまとめ、『シルマリルの物語』や『終わらざりし物語』などを出版した。これらは生前の作品とあわせ、アルダや中つ国と呼ばれる架空の世界に関する物語、詩、歴史、言語、文学論の体系を形作っている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物