伝記
ガブリエル・マルセルは1889年12月7日、パリに生まれた。父は国会議員や国立図書館の館長を歴任した教養人で、スウェーデン駐在の公使も務めたという。母はユダヤ系で、マルセルが幼いころに亡くなり、彼は母方のおばに育てられた。このおばは後に父と結婚した。両親はユダヤ教に熱心ではなく、若いころのマルセルは無神論者だった。20歳で哲学の学位を得たあとは、哲学のほかに劇作や作曲にも打ち込み、美術や演劇にも造詣が深かった。第一次世界大戦中は赤十字の奉仕活動に参加し、行方不明兵士の調査に従事した。この経験から実存にめざめ、哲学的な思索を始めたとされる。
出版関係の仕事をしながら劇作家としても活動し、その後いくつかの大学で哲学を教えた。1927年には『形而上学日記』を発表した。この日記は日々の思索を書き継いだもので、個人的な体験と切り離せない哲学の記録となった。1929年にカトリックへ改宗したが、伝記作家らは、あまりに早かった両親の死を心の中で埋め合わせる意味があったのではないかと解釈している。1935年の代表作『存在と所有』では「私は身体である」というテーゼを示し、独自の身体論を展開した。身体は目に見える物質だけでなく、自己の内面でもあり、現実と自分とをつなぐ媒介だとされる。「所有」は自分の外にあって対象にできるものにかかわり、存在のほうが所有より優位にあるとして、所有に執着する者は存在を失う欠如に苦しむと論じた。
アンリ・ベルクソンの影響を受け、ジャン=ポール・サルトルにも接近して実存主義と接触したが、サルトルの実存概念に無神論の色合いを感じて離れ、キリスト教の研究に立ち戻った。マルセル自身は実存主義という呼び名を避け、「キリスト教的ソクラテス主義」を好んだともいう。信仰を軸とするキリスト教的な実存者としての人間を「旅する人間」と捉え、当時のフランスの実存的な哲学や文学の潮流の中でも異彩を放つ思想家として知られた。『拒絶から祈願へ』を1940年に、『旅する人間』を1945年に、『存在の神秘』を1951年に刊行したほか、多くの戯曲や演劇評論も残した。方法はフッサールに近く、「私と他者」の関係や、過去の場面の想起、希望といった具体的な状況を取り上げて、現象学的に深く分析した。また、存在を実証できる経験に還元しようとする合理主義に対して、存在の神秘と、現存するものの再現できない一回性を擁護した。自宅のサロンにはサルトル、レヴィナス、リクールら戦後フランス思想を導く俊英が集まり、自由な雰囲気のもとで哲学的な議論が重ねられた。
1947年には妻ジャクリーヌを失った。戦後は国際的な名声を得て、アカデミー・フランセーズ文学大賞を受けた年は1948年とも1949年ともいわれる。1952年には人文・政治科学アカデミーの会員となり、1958年に国民文学大賞、1964年にはドイツ書籍協会平和賞、1969年にはエラスムス賞を受賞した。いくつもの大学から名誉博士号も受けた。晩年は身体論を他者論と結びつけ、死者の記憶を「私が愛しているということはあなたが死なないということだ」と表現して、存在を神秘として捉える思想を深めた。自己の身体を思索の起源とし、他者との峻別を考えた思想は、メルロ=ポンティの身体論やレヴィナスの他者論の先駆となったとされる。1973年10月8日に心臓麻痺で死去し、パリのパッシー墓地に葬られたと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- ディーン・コール (1973年没)
- ミハイル・カラトーゾフ (1973年没)
- ヤーノ・サーリネン (1973年没)
- Kathe von Nagy (1973年没)
- Malek Bennabi (1973年没)
同じ地域に関係する人物
- フリードリヒ・ハートイェンシュタイン (1954年没)
- ベルトラン・ポワロ=デルペシュ (2006年没)
- マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ (1627年没)
- フランソワ・アントワーヌ・アブネック (1849年没)
- エミール・ルモワーヌ (1912年没)