伝記
アール・ウィルバー・サザランド・ジュニアは、ホルモンの作用を伝える仕組みの研究で知られるアメリカの生理学者である。1915年、カンザス州バーリンゲームに生まれた。六人きょうだいの下から二番目で、父は雑貨店を営み、家族はニューメキシコ州やオクラホマ州を経て同地に定住した。父は店で子どもたちにも仕事を与え、サザランドは五歳頃から始めた釣りを生涯の趣味とした。高校ではテニス、バスケットボール、フットボールに取り組んだ。1933年、トピカのウォッシュバーン大学に入学し、学費を得るため地元病院で医療助手として働いた。1937年に理学士号を得て、セントルイスのワシントン大学医学部へ進んだ。
医学部在学中の1940年、薬理学の助手としてカール・コリの研究室で初めて研究に携わった。そこでアドレナリンやグルカゴンが、グリコーゲンをブドウ糖へ分解する過程に及ぼす作用を調べた。1942年に医学博士号を取得し、セントルイスのバーンズ・ユダヤ人病院で研修をした後、第二次世界大戦中は陸軍医師として従軍した。1945年に大学へ戻り、コリの研究室で研究を再開した。そこでグリコーゲンの分解に関わる三つの基本的な酵素のうち、肝臓のホスホリラーゼが分解の進行を左右する律速酵素であることを見いだし、この酵素が以後数年の研究対象となった。医学の臨床に進まず研究を選んだのは、指導者コリの影響によると本人は述べている。1945年に薬理学講師となり、翌年から生化学講師、1950年には生化学助教授、1952年には同准教授へと職位を進めた。
1953年、クリーブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学医学部へ移り、薬理学教授と学科長を務めた。セオドア・ラルと共同研究を始め、ホルモンが細胞内で作用する仕組みを調べた。ラルとは生涯にわたり研究上の協力関係を続け、同大での勤務は1963年まで十年間続いた。ホルモンとホスホリラーゼの相互作用を実験する中で、環状アデノシン一リン酸がホルモンの作用を伝える「第二の伝令」として働くことを明らかにした。この発見は、ホルモンが細胞に及ぼす作用機構の理解に結び付いた。
1963年にはナッシュビルのヴァンダービルト大学医学部で、解剖学教授とも生理学教授ともいわれる地位に就いた。職務の変更によって研究により多くの時間を使えるようになり、環状アデノシン一リン酸を中心とする研究を継続した。1966年、アメリカ科学アカデミーの会員に選ばれ、1967年にはアメリカ心臓協会の研究助成を得た。研究は国際的な賞にもつながり、1969年にガードナー国際賞とバンティング・メダル、1970年にアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受けた。1971年には、ホルモン作用の機構に関する発見によってノーベル生理学・医学賞を受賞し、同年にディクソン賞医学部門も受けた。
1973年、サザランドはマイアミ大学医学部の生化学特別教授に移り、新たな研究を続けた。同年だけで、アデノシン一リン酸とグアノシン一リン酸に関する論文を四本共同執筆した。アメリカ国家科学賞も同年に授与された。1974年3月9日、マイアミ大学医学部の教授として在職中に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- フランク・ハッシー (1974年没)
- アウド・エゲーデ=ニッセン (1974年没)
- シルビオ・モーザー (1974年没)
- Thorbergur Thordarson (1974年没)
- ヘンリー (グロスター公) (1974年没)
同じ地域に関係する人物
- フレッド・ニール (2001年没)
- ジョン・B・ゴードン (1904年没)
- ケイト・バーカー (1935年没)
- ロバート・ツダール (2015年没)
- ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフ (1992年没)