HISTORICAL PERSON · 1974年没

ウォルター・ブレナン

アメリカの俳優。1927年に映画デビューし、端役の時期が約10年続いた後、名脇役として活躍した。

生涯
1974年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / オックスナード)
出生地
アメリカ合衆国(リン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ウォルター・アンドリュー・ブレナンは、1894年7月25日にマサチューセッツ州リンで生まれたアメリカ合衆国の俳優である。ほかに歌手としても活動した。両親はともにアイルランドからの移民で、生家はスワンプスコットの家から2マイルも離れていなかったという。父はエンジニアで発明家でもあり、ブレナンもケンブリッジのリンジ工業高校で工学を学んだ。ただ在学中から演劇に関心を抱き、ヴォードヴィルの舞台にも立っている。

銀行の事務員として働いていたときに陸軍へ入隊し、第一次世界大戦では第101野戦砲兵連隊の兵卒としてフランスで2年間を過ごした。この間にマスタードガスで声帯を痛め、その結果、かん高く細い独特の声が彼の持ち味になったと伝えられる。復員後はボストンの新聞社で金融担当の記者として働き、1920年代の初めには不動産市場で財を築いたが、市況の悪化で大半を失った。パイナップル農園の経営にも手を出したとされるが、これも成功しなかった。

無一文になったブレナンは、1925年にユニバーサル・スタジオで映画のエキストラを始めた。日当は7ドル50セントで、その後約10年にわたりこの会社で断続的に働いた。初期の出演作には、フート・ギブソン主演の西部劇『カルガリー・スタンピード』(1925年)があり、1920年代の末までは端役や代役の仕事が続いた。1929年にはフランク・キャプラ監督の作品にも顔を出し、『ワン・ヒステリカル・ナイト』ではやや大きな役がついた。『ジャズの王様』(1930年)では自分は9役を演じたと語っていたが、完成した映画を見て「くしゃみをしたら自分を見逃した」と冗談を言った。リチャード・ソープ監督は何度も彼をエキストラに起用し、1931年の『ネック・アンド・ネック』ではソープのもとでやや大きな役を得た。ウィリアム・ワイラー監督の『ア・ハウス・ディバイデッド』にも出ている。1932年にはティム・マッコイ主演の西部劇『ツー・フィステッド・ロー』で若き日のジョン・ウェインと同じ画面に立った。ジェームズ・ホエール監督も『透明人間』(1933年)で小さな役を与えているが、ウィリアム・ウェルマン監督の『リリー・ターナー』では出演場面が削られた。1930年代は最も多くの映画に出た時期だったが、名もない役やクレジットに載らない端役が続いた。

1932年、西部劇の撮影中に馬に顔を蹴られて歯のほとんどを失う事故に遭った。しかし歯のない独特の話し方や顔立ちが滑稽に受け止められ、これが転機になったとされる。以後は好人物から悪役まで幅広くこなす名脇役として評価を高めた。

1936年の『大自然の凱歌』で初のアカデミー助演男優賞を受け、続いて『ケンタッキー』『西部の男』でも同賞を得た。助演男優賞を3度受けた俳優は今もブレナンだけである。『ヨーク軍曹』ではノミネートされ、『脱出』『荒野の決闘』『赤い河』『リオ・ブラボー』などにも出演した。テレビでは1957年から1963年までのコメディ『リアル・マッコイズ』で主演した。生涯の出演作は230本に及ぶ。1974年9月21日、肺気腫のため80歳で死去した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物