伝記
ロバート・ロビンソンは、1886年9月13日にイギリスのダービーシャーで生まれ、1975年2月8日に没した有機化学者である。サーの称号を持ち、植物色素のアントシアニンとアルカロイドの研究により、1947年にノーベル化学賞を受賞した。生家はチェスターフィールド近郊のラッフォード・ハウス農場で、父は外科用包帯を作る業者のジェームズ・ブラッドベリー・ロビンソン、母はジェーン・ダヴェンポートであった。
チェスターフィールド・グラマー・スクールと私立のフルネック・スクールで学び、マンチェスター大学で化学を修めて、1905年に理学士の学位を得た。1907年には1851年博覧会王立委員会の研究奨学金を受け、同大学で研究を続けた。1912年にはシドニー大学の化学科で、純粋・応用有機化学の初代教授に任命された。1915年にイギリスへ戻ってリヴァプール大学の有機化学の講座を担当し、1920年までその職にあった。続いて英国染料会社の研究部長を務め、1921年から1922年にかけて短期間セント・アンドルーズ大学に在籍し、その後マンチェスター大学の有機化学の講座を、アーサー・ラプワースやウィリアム・ヘンリー・パーキン・ジュニアの後任として担った。1928年にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの教授となったが、在任は2年ほどで、1930年からオックスフォード大学のウェインフリート教授となり、マグダレン・カレッジのフェローも務めた。
研究面では、有機化学、とりわけ有機電子論の発展に大きく貢献した。1917年にはトロピノンの全合成を報告し、これはアルカロイド化学の大きな前進であると同時に、一つの容器の中で連続した反応により二環式の分子が作れることを示した。1935年に報告したロビンソン環化は、ステロイドの全合成に応用されている。ストリキニーネ、ニコチン、モルヒネなどの構造決定に貢献し、1946年にはストリキニーネの構造を決定した。ペニシリンの分子構造も明らかにしたとされる。また、1923年にセント・アンドルーズ大学にいたとき、ベンゼンを円で表す記号を考案し、電子の動きを曲がった矢印で表した最初の人物であった。抗マラリア剤の開発にも貢献し、エドワード・チャールズ・ドッズとともにジエチルスチルベストロールの最初の合成にも関わった。
学界での評価も高く、1920年に王立協会のフェローに選ばれ、1945年から1950年まで同協会の会長を務めた。1930年にフランクリン・メダルやベーカリアン・メダル、1932年にロイヤル・メダル、1942年にコプリ・メダルを受け、1947年にはノーベル化学賞に加えてアルバート・メダルも受けた。1949年にはメリット勲章を受勲している。1957年には五十人ほどの編集者とともに、ペルガモン出版のために学術誌『テトラヘドロン』を創刊した。
趣味はチェスで、腕前は強いアマチュアだった。1944年12月にはオックスフォード大学の代表として、ブレッチリー・パークのチームとの親善試合に出場し、のちに計算機科学の先駆者となるI・J・グッドに敗れた。1950年から1953年までは英国チェス連盟の会長を務め、レイモンド・エドワーズとの共著『チェスの技術と科学』も著している。結婚は二度で、1912年にガートルード・モード・ウォルシュと結婚し、1954年に先立たれたのち、1957年に未亡人のシルヴィア・ヒルストロームと再婚した。オックスフォードの理系地区のロビンソン・クローズなどが、その名を冠している。
同じ年に亡くなった人物
- ペール・ヴァールー (1975年没)
- スヴェン・リデル (1975年没)
- レズリー・ホワイト (1975年没)
- アンドリュー・チャールトン (1975年没)
- ジョージ・パジェット・トムソン (1975年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジェラルド・ムーア (1987年没)
- フィリップ (パリ伯) (1894年没)
- ネヴィル・モット (1996年没)
- Harry Freeman (1968年没)