伝記
エイヴィンド・ユーンソンは、1900年7月29日、スウェーデン北部ノールボッテン県のボーデン市に属する小さな集落スヴァルトビョルンスビューンで、貧しい家に生まれた作家である。戸籍上の名はオロフ・エドヴィン・ヴェルネル・ヨンソンという。父はヴェルムランド地方の出身で、ノールランドに鉄道工事の仕事で来ており、母はブレーキンゲ地方の出身だった。両親の暮らしが不安定だったため、4歳で里親のもとに預けられた。村の学校に13歳まで通ったが、これが彼の受けた唯一の学校教育である。
14歳で働き始め、丸太を川に流す作業員、製材所の工員、映画館の案内係などを経験した。1917年に労働組合の運動に加わり、専従の社会主義活動家となって、1919年にストックホルムへ移った。1921年から1923年にはベルリン、次いでパリに住み、二つの社会主義系新聞から得るわずかな収入で暮らした。1924年に最初の短編集『四人の異邦人』を出し、翌年には反資本主義的な調子の長編『ティーマンと正義』を発表した。その後まもなくフランスに戻り、1926年から1930年まではパリ近郊のサン=ルー=ラ=フォレの質素な建物に住んだ。1927年にはこの地で息子トールが生まれ、のち芸術写真家となる。
フランス滞在中には、生まれ故郷を思わせる『闇の街』(1927年)や、パリを舞台にした『書留郵便』(1928年)を書いた。この時期にはプルーストやジッドの影響が見られ、『ある流れ星についての注釈』(1929年)には内的独白とジョイスの影響が刻まれている。のちの作品にはクヌート・ハムスンの影響が認められるという。ユーンソンの作品は、語りや言葉の面でいくつもの革新的な試みを行い、時代の不正への告発と、社会の進歩や人間の魂の刷新に対する揺るぎない信頼を併せ持っていた。『ボビナック』(1932年)は、ユートピア的でマルクス主義的な社会批判と、人間への深い信仰を調和させようとした作品である。『オロフの物語』は1934年から1937年にかけて書かれ、1945年に一冊にまとめられた。
1930年代と1940年代には、独裁や政治的抑圧のあらゆる形に反対し、フィンランドの独立の要求も支持した。三部作『クリロン』(1941年から1943年)では、第二次世界大戦中のスウェーデンの中立政策を公然と批判している。1946年の『幸せなオデュッセウス』は、ホメロスの詩を不遜な言葉でパロディにした作品である。1960年の『陛下の時代』は、シャルルマーニュ治下のヨーロッパを覆う圧政を描き、皮肉の才が最も円熟して表れたとされる。1973年の『沈黙への数歩』では、現在と複数の過去を織り交ぜて、現代と暴力について考察した。
その政治的な関与と人間性ゆえに人気を集め、1957年、ニルス・アーンルンドの空席となった11番の席で、スウェーデン・アカデミーの会員に選ばれた。1974年にはハリー・マーティンソンとともにノーベル文学賞を受けたが、二人とも賞を授与するアカデミーの会員だったこと、ナボコフやベロー、グリーン、ボルヘスらが有力な候補とみられたことから、論争を呼んだ。スウェーデンの知識人層の一部は、彼の労働者的な思想を非難したという。スウェーデン語ではフローベール、アナトール・フランス、ヴェルヌ、カミュ、サルトルなどの作品も翻訳している。2年後の1976年8月25日、ストックホルムで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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