伝記
ヒエロニムス・ボスは、1450年ごろに現在のオランダにあるス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)の画家一族のもとに生まれた、ルネサンス期ネーデルラントの画家である。本名はイェルーン・ファン・アーケンといい、ボスという画名は、生まれ、生涯のほとんどをここで過ごした町の名に由来する。祖父ヤン、父アントニス、兄のホーセンと3人の叔父がみな画家で、母は仕立て屋の娘とされる。1450年ごろという生年は、1474年の文書で父や兄たちと証言に立ち、法定年齢の24歳にまだ達していなかったとみられることから割り出された推定である。
生前の史料は乏しく、生涯には不明な点が多い。父の工房で制作の技術を身につけたと考えられている。町には1526年まで画家組合がなく、独立の時期は分からないが、1480年から1481年の記録から、そのころすでに独立した画家だったことがわかる。修業時代と同じ時期に、上流の富裕な家の娘アレイトと結婚し、持参金には土地も含まれていたという。この結婚を通じて、1486年にシント・ヤンス教会を中心とするキリスト教の友愛団体、聖母マリア兄弟会に加わった。会員は1万人以上で、貴族も多かった。こうした縁から市内の有力者やアントワープの大商人らの注文を受け、生前から国際的な名声もあり、1504年9月にはブルゴーニュ公フィリップ美公から注文があった。ポルトガル女王の遺産にも作品があったという。彼は自作に日付を入れず、確かな署名のある作品も少ない。
作風は、聖書に基づく寓話を描きながら、同時期の他の初期フランドル派とは一線を画し、シュルレアリスムを思わせる幻想的で怪異な作風が特徴で、主題や制作意図も謎に満ちている。現存する作品には、『乾草車』『聖アントニウスの誘惑』『放浪者』などがあり、三連祭壇画の形式のものも少なくない。有名な『快楽の園』もその一つである。左のパネルにはキリストの姿の神がアダムにイブを娶わせる「エデンの園」、右のパネルには卵の殻の胴体を持つ男や怪鳥が描かれた「地獄」があり、中央には無数の裸の男女が快楽にふける現世が描かれる。中央を「好色の罪」とし、罪を犯した者が右で罰せられているとする説が最も一般的だが、1947年にはフレンガーが、異端であるアダム主義の描写だとする説を発表するなど、解釈はさまざまである。
ボスは各地の王侯貴族から依頼を受けた。特にスペインのフェリペ2世は熱烈な愛好者で、エル・エスコリアルなどに多くの作品を集めた。マドリードに傑作の多くがあり、現在プラド美術館に10点があるのもそのためである。1516年8月9日に世を去り、葬儀が行われた。しかし多くの作品が16世紀の宗教改革に伴う偶像破壊のあおりで失われ、現在では真作とされるものは30点ほどにすぎない。後補や修正の跡が確認されるものや後世の模作もあり、真贋の判別が困難なものも多い。生前から追随者や贋作者が現れて彼の主題を一つのジャンルに変え、その図柄はタペストリーや版画でも広まった。2016年には、メトロポリタン美術館の『東方三博士の礼拝』も真作とされた。作風はピーテル・ブリューゲルら後世の画家に大きな影響を与えた。
同じ年に亡くなった人物
- ジュリアーノ・デ・メディチ (ヌムール公) (1516年没)
- ジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオ (1516年没)
- ジョヴァンニ・アンブロージオ・デ・プレディス (1516年(推定))
- アシュラフ・カーンスーフ・ガウリー (1516年没)
- ダヤン・ハーン (1516年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘンドリック・カシミール (2000年没)
- ヘルベン・カルステンス (2022年没)
- ハリー・ブロース (1954年没)
- ウィム・ファン・エスト (2003年没)
- ヨハン・ウィレム・フリーゾ (オラニエ公) (1711年没)