HISTORICAL PERSON · 1977年没

ジャック・プレヴェール

フランスの民衆詩人・映画作家。シャンソン『枯葉』の詞を書き、映画『天井桟敷の人々』のシナリオも手がけた。

生涯
1977年没
死亡地
フランス共和国(サルト県 / Teloche)
出生地
フランス共和国(ヌイイ=シュル=セーヌ)
出典
世界地図
フランス共和国(サルト県)

伝記

ジャック・プレヴェールは、1900年2月4日、パリの西隣にあたるヌイイ=シュル=セーヌに生まれたフランスの詩人、映画の脚本家、童話作家である。父アンドレはブルターニュ系、母シュザンヌはオーヴェルニュ系であった。15歳からパリの商店や百貨店で働いた。1920年、20歳のとき徴兵先のリュネヴィルでのちの画家イヴ・タンギーと知り合い、翌年には駐留先のコンスタンティノープルで、のちに編集者となる人物とも知り合った。1922年にパリへ戻ると、映写技師をしていた弟ピエールの勤める映画館に、三人で入り浸った。

1924年から三人はモンパルナスで共同生活を始め、1925年からはそこへ、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ミシェル・レリス、レーモン・クノーらシュルレアリストが出入りした。プレヴェールも一時は彼らに同調したが、1928年に疎遠となって絶縁し、タンギーらと映画づくりに打ち込みながら、雑誌に詩を載せ始めた。1932年にはポール・グリモーやジャン=ルイ・バローらの政治宣伝劇団「十月グループ」のために脚本『新聞ばんざい』や『フォントノワの戦い』を書いた。後者は、モスクワの左翼演劇コンクールで一等賞を取ったという。

十月グループが解散した1936年から1945年にかけては、約20本の映画のシナリオと台詞を書き、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジャン・グレミヨンらの監督、ジャン・ギャバンやアルレッティ、ミシェル・モルガンらの俳優と仕事をした。『霧の波止場』『陽は昇る』などがあり、1944年の『天井桟敷の人々』の脚本で知られる。台詞の素晴らしさに定評があった。撮影所の仲間だった作曲家ジョゼフ・コズマは、1935年の『美しい星へ』以降、プレヴェールの詩によるシャンソンを50曲も作り、イヴ・モンタン、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコらが歌った。『枯葉』もその一つである。1940年からのナチスによる占領期には、南仏に疎開した。

1946年、43歳のとき、勧められて最初の単行本『パロール』を出版した。書きためた自由詩、散文詩、メモなどの寄せ集めだったが、待たれていたように売れ、のちのちまで数百版を重ねたといわれる。同じ年に妻ジャニーヌとのあいだに一人娘が生まれると、童話を書くようになり、写真家のイーラや画家のアンドレ・フランソワらと子供の本を作った。1948年に転落事故を起こしたが、その後も詩集や童話を出し続けた。生涯、平易な言葉で詩を綴り、ピカソ、シャガール、エルンスト、ブラック、ミロといった画家や写真家のイジスとも美術書を編んだ。女優アヌーク・エーメのデビュー作にも脚本で関わっており、役名の「アヌーク」を彼女が芸名に使い、「エーメ」を付け足すことをプレヴェールが提案したという。

1977年4月11日、77歳で、マンシュ県オモンヴィーユ=ラ=プチットの家で肺がんのため亡くなった。没後には二つの詩集が出版された。生前の詩集には、『物語』『スペクタクル』『雨と晴天』『がらくた集』『物そのほか』などがある。日本では、嶋岡晨や大岡信らの翻訳で詩集が紹介され、高畑勲による『ことばたち』の訳と注解も出ている。

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