伝記
クラリッセ・リスペクトルは、1920年12月10日に生まれ、1977年12月9日に没したブラジルの小説家である。日本語圏では長く「リスペクトール」と表記されてきたが、ポルトガル語では「ペク」の音節に強勢があり、「リスペクトル」のほうが原音に近いとされる。
生まれたのは、現在のウクライナのポジーリャにあったユダヤ人集落の貧しい土地チェチェリニクで、ユダヤ人家庭の出身である。この地は一連の戦乱で荒廃しており、生後間もなく、両親とともにブラジルへ移住した。ブラジルに着いたあと、両親は名前を改め、彼女も出生名のハヤからクラリッセに改名した。ペルナンブーコ州の港湾都市レシフェの学校に通い、ヘブライ語やイディッシュ語を学んだ。のちにリオデジャネイロの大学で法学を修め、在学中からジャーナリストとして日刊紙などに寄稿した。同級生だった外交官と結婚して、ブラジル国籍を取得し、帰化している。
1943年、意識の流れの手法を用いた小説を発表し、23歳で文壇にデビューした。ポルトガル語の題は「野生の心の近く」を意味する。この作品は批評家に賞賛され、ブラジルのグラッサ・アラニャ賞を受けたほか、作家レード・イーヴォは「女性が書いたポルトガル語史上における最も偉大な小説」とたたえた。翌1944年にはヨーロッパへ渡り、盛夏のイタリアのナポリに滞在して、連合国側で参戦していたブラジル遠征軍の軍病院で、傷病兵の看護を手伝った。ローマでは画家のジョルジョ・デ・キリコや詩人のジュゼッペ・ウンガレッティと出会い、意気投合したという。1946年にナポリで二作目の小説を発表した。
その後、夫がスイスのベルンの大使館に転任したため、数年間をスイスで過ごし、1949年に三作目の小説を発表したのちイギリスへ渡った。1952年から1959年まではアメリカ合衆国に住んだ。1959年に夫と離婚してブラジルに帰国し、執筆に専念した。1960年に短編集『家族の絆』、1964年に神秘的な小説『G.Hの受難』を発表している。ほかにオスカー・ワイルド、エドガー・アラン・ポー、アガサ・クリスティの翻訳も手がけた。長編小説は1961年、1969年、1973年にも発表し、短編集も1952年の最初の作品集から1974年まで重ねた。1967年には児童書を出し、1975年には著名人へのインタビュー集も刊行している。ジョルナル・ド・ブラジル紙に連載したコラムは、没後に『世界の発見』(1984年)としてまとめられた。没後の1978年にも長編小説が刊行されている。作家フェルナンド・サビーノとの往復書簡は2001年に、姉妹との書簡は2007年に、それぞれ本になった。
死の直前の1977年に刊行された小説『星の時』は、のちに映画監督によって映画化され、第36回ベルリン国際映画祭で銀熊賞の女優賞を受けた。1977年12月9日、リオデジャネイロで死去し、同地のユダヤ人墓地に埋葬された。日本では『G.Hの受難・家族の絆』が1984年に、『星の時』が2021年に刊行され、近年も『ソフィアの災難』や『水の流れ』など、福嶋伸洋の訳による本が出版されている。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・エデンサー・リトルウッド (1977年没)
- ゾジモ (1977年没)
- サマエル・アウン・ベオール (1977年没)
- Franco Rol (1977年没)
- Henry Tandey (1977年没)
同じ地域に関係する人物
- ラグンヒル (ノルウェー王女) (2012年没)
- Washington Ortuno (1973年没)
- ロベルト・ディナミッチ (2023年没)
- ドリヴァル・カイミ (2008年没)
- ドミンゴス・ダ・ギア (2000年没)