伝記
ロバート・テイト・マッケンジーは、1867年5月26日に生まれ1938年4月28日に没した、カナダ生まれの医師、大学教授、彫刻家である。健康増進プログラム作成の先駆者であるとともに、独学の彫刻家としても活動した。オンタリオ州ラナーク郡のラムジー(現在はミシシッピ・ミルズの一部)に生まれ、バスケットボールを考案した教育者ジェームズ・ネイスミスとは同郷の知り合いであった。幼い頃の自分を、青白い顔を気にする繊細な子で、学校へはいやいや通っていたと振り返っている。
1885年にマギル大学に入学すると、陸上競技や体操に熱中した。曲芸的な体操、ボクシング、ハードル、フットボール、綱引きなどに加わり、走り高跳びでは175センチの記録を樹立した。1889年には体操の優れた選手を示すウィックステッド金メダルを受けた。1892年に医学博士と外科修士の学位を得て卒業し、モントリオール総合病院でインターンを務めた。その後は医師として経験を積み、マギル大学で解剖学の教員となった。体を鍛えることが病気や身体の不調、事故を防ぐと考えるようになり、運動のプログラムを作った。1894年からは15か月ほど、カナダ総督アバディーン侯爵の家庭医として総督の私邸で暮らし、さまざまな政治家と交流した。
1890年代には大学に独立した体育学部を設けるよう求めたが、資金不足を理由に断られた。妥協案として1898年に大学は彼をフィジカルトレーニングの管理者に任命した。カナダの大学では最初の任命とされる。学生を運動する頻度によって3つのグループに分けて、それぞれに運動プログラムを作り、大学の許可を得て新入生の健康診断も始めた。
仕事の合間の息抜きとして水彩画を描きはじめ、小さなスケッチブックを持ち歩いて、興味を引くものを見つけるとスケッチした。解剖学の知識と、鍛えられた肉体や動きを表現したいという思いから、やがて彫刻を手がけるようになった。最初の試みは、激しい運動、息切れ、疲労、消耗を表す一連の仮面で、強い負荷のもとでの顔の筋肉を調べた。その成果は1900年ごろ、激しい運動と息切れや疲労による顔の表情についての論文として専門誌に発表された。最初の丸彫りの作品は「スプリンター」で、マギル大学の学生を含む多くの運動選手の手足や胴の寸法測定をもとに作られた。彼の作品は200点を超え、運動選手や軍人の像、胸像、仮面、フリーズ、メダルなどからなり、カナダ、アメリカ、イギリス、スコットランドに置かれている。
1904年にはアメリカのフィラデルフィアにあるペンシルベニア大学の常任教員となり、体育部長として健康と運動に関する理論を試し、実践する機会を得た。同市ではスカウト運動の創設者ロバート・ベーデン=パウエル卿と協力した。のちに制作した彫刻像「理想のスカウト」は各地に設置されている。1907年にはイギリスへの船旅で、カナダ生まれの音楽教師で詩人のエセル・オニールと知り合い、結婚した。1912年のストックホルムオリンピックの芸術競技に彫刻を出展した。第一次世界大戦が始まると、イギリス軍の医療部隊やカナダ、アメリカの機能回復施設と協力して、戦傷者の治療とリハビリテーションの方法を研究し、実践した。その方法や考案は、現代の理学療法の基礎になったとされる。1928年にカナダ王立美術アカデミーのフェローに選ばれ、1930年にペンシルベニア大学を辞して、しばしばカナダに滞在した。1932年のロサンゼルスオリンピックでは芸術競技のメダル部門に出品して銅メダルを受けた。1938年、フィラデルフィアで亡くなった。
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