伝記
カール・マンネ・イェオリ・シーグバーンは、1886年12月3日にスウェーデンのエーレブルーで生まれた物理学者である。父ニルス・ラインホルド・イェオリ・シーグバーンは駅長で、母はエンマ・ソフィア・マティルダ・ツェッテルベリといった。1906年にストックホルムの学校を卒業し、同じ年にルンド大学で学び始めた。1907年から1911年まで、ヨハネス・リュードベリの助手を務めている。1908年にはゲッティンゲン大学でも学んだ。1911年にルンド大学から博士の学位を得ており、学位論文の題は「磁場の測定」であった。その後、リュードベリの健康が衰えると、その代理として教授を務め、リュードベリが亡くなった後の1920年にルンド大学の物理学の正教授となった。
1914年にカリン・ホグボムと結婚し、2人の息子をもうけた。1915年生まれの長男ボーは外交官から政治家となり、1918年生まれの次男カイは物理学者になった。シーグバーンがX線分光学の研究を始めたのも1914年である。当初は、ヘンリー・モーズリーがいくつかの元素の特性X線の振動数と周期表上の位置との関係を見いだしたときと、同じ型の分光器を使った。まもなく改良した実験装置を作り、異なる元素の原子から出るX線の波長を、非常に正確に測れるようにした。モーズリーが見つけたスペクトル線のいくつかが、さらに多くの成分から成ることも発見した。これらの成分を調べ、分光器を改良することで、電子殻をほぼ完全に理解するに至ったという。また、X線分光学で元素に特有のスペクトル線を呼び分ける記法を作り上げ、これはシーグバーン記法と呼ばれる。その精密な測定は、量子論と原子物理学の多くの進歩を後押しした。
1923年にルンド大学を離れてウプサラ大学の物理学教授になり、翌1924年にはX線分光学の分野での発見と研究によってノーベル物理学賞を受賞した。1925年には『X線の分光学』を著している。ノーベル賞の前にも、1919年と1923年にビョルケン賞を受けており、のちに1934年にヒューズ・メダル、1940年にラムフォード・メダル、1948年にダッデル・メダルを受けた。英国王立協会の外国人会員にも名を連ねている。1937年には王立スウェーデン科学アカデミーの実験物理学の研究教授に任命された。この部門は1988年に「マンネ・シーグバーン研究所」と改称され、その後研究グループは再編されたが、名前はストックホルム大学が運営するマンネ・シーグバーン研究室に残っている。
その後、研究の分野を原子物理に広げ、1939年にサイクロトロンを建設した。国際的にも活躍し、1938年から1947年まで国際物理学会の会長を務めた。1944年にはシーグバーン・ポンプの特許を取っている。1978年9月、ストックホルムで世を去った。次男のカイ・シーグバーンも、のちの1981年にX線光電子分光法の発展への貢献によりノーベル物理学賞を受けており、親子二代の受賞となった。
同じ年に亡くなった人物
- ハロルド・バロン (1978年没)
- テレサ・ウェルド (1978年没)
- Julio Jaramillo (1978年没)
- ゼンタ・マウリーナ (1978年没)
- F・R・リーヴィス (1978年没)
同じ地域に関係する人物
- アルヴィド・ポッセ (1901年没)
- Anna Whitlock (1930年没)
- エーリク (ヴェストマンランド公) (1918年没)
- エドヴィン・ヴィーデ (1996年没)
- エルサ・ベスコフ (1953年没)