HISTORICAL PERSON · 1978年没

ジム・ジョーンズ

アメリカの新宗教「人民寺院」の教祖。ガイアナのジョーンズタウンに本部を移し、1978年に信者とともに集団自殺したことで知られる。

生涯
1978年没
死亡地
ガイアナ(バリマ=ワイニ州 / ジョーンズタウン)
出生地
アメリカ合衆国(クレテ)
出典
世界地図
ガイアナ(バリマ=ワイニ州)

伝記

ジム・ジョーンズ、本名ジェームズ・ウォーレン・ジョーンズは、1931年5月13日にインディアナ州の片田舎で生まれた、アメリカ合衆国のキリスト教系新宗教、人民寺院の教祖である。父は第一次世界大戦に従軍したジェームズ・サーマン・ジョーンズ、母はリネッタ・プットナムで、アイルランド系とウェールズ系の血を引く。世界恐慌の経済不況のなか、水道のない小屋で育った。少年のころからスターリンやマルクス、毛沢東、ガンディー、ヒトラーらの書物を熱心に読み、各人の強みと弱点に着目していたという。友人を作るのが苦手で、宗教に強い興味を抱くようになった。子供時代を知る人々は、彼を「本当に異様な子供だった」と述べ、宗教や死に取りつかれ、両親の土地で小動物の葬儀を行っていたと語る。本人も友人も、父はアルコール中毒でクー・クラックス・クランと関わりがあったと述べている。疎外された自らの経験から、抑圧されたアフリカ系アメリカ人に共感を抱き、黒人の友人を家に入れることを拒んだ父と衝突して、長く口をきかなくなった。両親が離婚すると、母とともにリッチモンドに移り、1948年12月に高校を優等で早期卒業した。

翌年、看護師のマルセリーヌ・バルドウィンと結婚してブルーミントンに移り、インディアナ大学に進んだ。1951年にインディアナポリスへ移って夜間の学生となり、同じ年にアメリカ共産党の集会に参加するようになった。赤狩りにも強いストレスを感じ、「どうやったら私のマルクス主義を証明できるか。結論は、教会に潜入することだ」と自問したと伝わる。1952年に学生牧師としてメソジストの教会に所属したが、黒人の参加を教会の指導者に禁じられて辞めている。心霊治療を目にして、人々が進んで財産を捧げることを知り、その金が自分の理想の社会に役立つと考えた。1956年6月にはインディアナポリスで大規模な宗教集会を開き、治癒伝道者ウィリアム・ブランハムを講演に招いた。この集会のあと自分の教会を創設し、これが人民寺院である。当初は人種間の融和を掲げる伝道団体だった。

1960年にはインディアナポリス市長チャールズ・ボズウェルから市の委員会への参加を依頼された。人種統合を掲げる教会や店を支援し、黒人の入店を拒むレストランを洗い出すために囮捜査も計画した。1961年に急病で黒人病棟に入れられたときは移動を拒み、社会的圧力もあって病院は人種隔離の病棟を廃止した。一方で、白人所有の企業や地域から批判を受け、建物にスワスティカを落書きされ、脅迫電話や、猫の死体を家に投げ込まれることもあった。夫妻は人種の異なる子供を何人も養子に迎え、この家族を「虹色の家族」と呼んだ。

1962年にはブラジルのベロオリゾンテへ家族と渡り、のちにリオデジャネイロの貧民街で働いたが、1963年12月にアメリカへ戻った。そこで1967年7月15日に世界的な核戦争が起こると述べ、安全のため人民寺院を北カリフォルニアへ移すとした。1970年代初めにサンフランシスコでの活動で悪評を得、最後には本部を南米ガイアナへ移した。1978年、ジョーンズタウンで人権が蹂躙されているという報道を受け、下院議員レオ・ライアンの代表団が現地を訪れた。ライアンは帰路、飛行機に乗る際に銃撃されて殺害された。続いてジョーンズは信者とともに集団自殺へと至り、1978年11月18日、ジョーンズタウンと教団本部で計918人が犠牲になった。その約300人は未成年の子供であった。

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