HISTORICAL PERSON · 1528年没

ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ

イタリア出身の探検家。1524年にフランス王の依頼で北西航路を探り、北アメリカ東海岸を探検した最初のヨーロッパ人とされる。ニューヨーク港を訪れ、1528年の航海中に先住民に殺されたと伝わる。

生涯
1528年没
死亡地
フランス共和国(グアドループ)
出生地
イタリア共和国(グレーヴェ・イン・キアンティ)
出典
世界地図
フランス共和国(グアドループ)

伝記

ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノは、1485年頃に生まれたイタリア出身の探検家で、フィレンツェ系の商人の家の出とされる。誕生年ははっきりしない。生まれた場所には諸説あり、フィレンツェの約50キロ南、ヴァル・ディ・グレーヴェにある一家の城で生まれたとする説が、最近の研究でもっとも有力とされる。ほかに、リヨンで生まれたとする説もあるが、支持する歴史家は多くない。フィレンツェ系の一家がリヨンに住んでおり、彼自身も若い頃の少なくとも一部をリヨンで過ごしたとされる。1507年にはフランスのディエップに移って船乗りとなり、東地中海へ数度航海し、ニューファンドランド島まで行った経験もあったとされる。弟のジロラーモがいた。

1520年代初めまでは主にリヨンとパリで暮らし、宮廷にも紹介された。1522年ごろ、マゼラン一行のピガフェッタらの旅の記録が出て、フランスの上流階級はこの大航海に熱狂していた。彼はリヨンでイタリアの商人ら5人とフランス人3人と組合を作り、資金を集めた。年末にはディエップの船主ジャン・アンゴから、フロリダとニューファンドランドの間の地域を探り、太平洋とアジアへ抜ける航路を見つけるよう任された。1524年、フランス王フランソワ1世の依頼を受け、3月1日ころにケープ・フェア近くに上陸した。北アメリカ大西洋岸を探検した最初のヨーロッパ人ということになっている。

はじめは現在のサウスカロライナ州の海岸に沿って南へ下り、転じて北へ向かった。ノースカロライナ州のアウターバンクスに沿って進むうち、細い帯状の陸の向こうに大洋が開けていると考えたが、実際にはパムリコ湾とアルベマール湾の入江にすぎなかった。この勘違いのため、1527年のマッジョーロや、1529年の弟ジロラーモの地図には、北アメリカが「ヴェラッツァーノ海」で二つに分かれ、東海岸の細い陸橋でつながるように描かれた。誤りが正されるには、およそ1世紀を要した。

彼は何度か上陸して先住民と交流し、ニュージャージー州の海岸に沿って北上して、ニューヨーク湾に入った。スタテン島とロングアイランドの間の海峡に停泊し、カヌーで来たレナペ族の訪問を受けたという。北に大きな淡水湖のようなものを見たが、これはニューヨーク港の奥の湾だった。港の奥深くへは進んでおらず、ハドソン川の存在も確かめられなかった。そこからロングアイランドの南岸を回ってナラガンセット湾に入り、おそらくナラガンセット族に出会ったと考えられ、さらにメイン州からノバスコシアの南東岸を回り、ニューファンドランド経由でフランスへ帰った。フランス王の名にちなむ「フランチェサ」など、彼がつけた地名は現在残っていない。

その後、彼は新世界へ再び航海し、1回目にはブラジルでブラジルボクを伐採している。1528年の3回目の航海のさなか、小アンティル諸島で先住民に殺されて食べられたという話がもっともよく知られているが、死因について確かなことは伝わらず、この食人説は文書の分析で否定されたともいい、スペイン人に捕まって海賊として絞首刑にされたとする史料もある。43歳だった。ヴェラザノ・ナローズ橋などは、彼にちなんで名づけられた。

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