伝記
ロマン・ガリーは、1914年5月8日に生まれ、1980年12月2日にパリで没したフランスの小説家・映画監督・外交官である。ロマン・ギャリなどとも表記される。操縦士やレジスタンスの闘士としても活動し、1970年代には別名義で小説を書く文学上の仕掛けでも知られた。
当時のロシア帝国領ヴィリナ(のちにポーランド領ヴィルノ、現在はリトアニアの首都ヴィルニュス)で生まれた。出生名はロマン・カツェフである。両親はともにユダヤ系で、父アリエ=レイブは毛皮の工房と店を一族で営む中流の商人、母ミナは中等教育を受けて社会主義系の青年グループに加わったことがある女性だった。ガリーは成人してからの著作や発言で、自らの出自について多様な説を語った。生地や父の国籍をさまざまに言い換え、ロシアの俳優イヴァン・モジューヒンの息子だという噂が広がるに任せることもあったという。1915年に一家は、前線地帯からユダヤ人を退去させる措置によってロシアへ送られた。その滞在の詳細は不明で、本人が書いたクルスクやモスクワでの暮らしを裏付ける独立した資料は見つかっていない。1921年には、母と子がヴィリナにいたことが確認されている。14歳のとき、母とともにフランスのニースに移り住み、のちにフランスに帰化した。
第二次世界大戦後はフランス外務省に勤め、ブルガリア、スイス、アメリカの各大使館の参事官や、ロサンゼルス駐在の領事を務めた。1945年に『白い嘘』を発表し、1956年には『自由の大地 天国の根』でロマン・ガリー名義のゴンクール賞を受けた。1960年の『夜明けの約束』は自伝的な小説で、のちに映画化されている。1970年の『白い犬』も映画化された。映画女優のジーン・セバーグと結婚し、1968年には『ペルーの鳥』の監督・原作・脚本を手がけて、映画界でも活躍した。『レディL』など映画化された作品も多い。
1975年には、エミール・アジャールの名義で出した『これからの一生』で再びゴンクール賞を受賞した。同じ賞を2度受けたのは、この名義のおかげで彼ただ一人である。1980年12月2日、拳銃で自殺した。直前にガリマール社の担当者へ、自分の死はジーン・セバーグの自殺とは関係がないことと、エミール・アジャールが自分であることを記した文書を送っており、その最後は「大いに楽しんだ。ありがとう。さようなら」と結ばれていた。作家のロジェ・グルニエは、ガリーが「バック通りはわが祖国だ」と語っていたと書き、タタール人、ユダヤ人、ロシア人、ポーランド人とさまざまな血が混じっていたのに、世界市民にもヨーロッパ市民にもフランス市民にもなりたいとは思わなかったと記している。
同じ年に亡くなった人物
- エリオット・ニュージェント (1980年没)
- ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチ (1980年没)
- マフムード・ハリール・アルホサリー (1980年没)
- Rostislav Alexeyev (1980年没)
- ジョージ・ラフト (1980年没)
同じ地域に関係する人物
- ジュール・クラルティ (1913年没)
- アブラアム=ヤサント・アンクティル=デュペロン (1805年没)
- シャルロット・ペリアン (1999年没)
- カシミール・ルフォーショウ (1852年没)
- アンドレ=ジャック・ガルヌラン (1823年没)