HISTORICAL PERSON · 1980年没

ピーター・セラーズ

イギリスの喜劇俳優。両親とも芸人の家に生まれ、2歳で初舞台を踏んだ。『博士の異常な愛情』などの映画に出演した。

生涯
1980年没
死亡地
イギリス連邦(カムデン区 / ミドルセックス病院)
出生地
イギリス連邦(サウスシー)
出典
世界地図
イギリス連邦(カムデン区)

伝記

ピーター・セラーズは、1925年9月8日、イギリスのハンプシャー、ポーツマスのサウスシーに、リチャード・ヘンリー・セラーズとして生まれたコメディアン、喜劇俳優である。両親はともに芸人の家庭の人で、父ビルはプロテスタント、母ペグはポルトガル系ユダヤ人の出だったが、本人はカトリックの学校に通った。一人っ子で、孤独な少年時代を送った。幼いころから両親には、前年に死産した兄の名にちなんで「ピーター」と呼ばれていた。母との結びつきは生涯強く、友人のスパイク・ミリガンはそれを大人の男には不健全だと見ていたという。

ごく幼いころに初舞台を踏み、両親の寄席芸に加わって地方の劇場を巡った。ダンスのほか、ウクレレやバンジョーなどの演奏にも才能を示し、ジャズバンドのドラマーとして公演旅行も行った。ロンドンのウィンドミル・シアターに出演したことでも知られる。第二次世界大戦中はイギリス空軍に入り、終戦までに兵長に昇任した。慰問の舞台に立つかたわら、任務の合間に上官の物真似をしており、これがのちの演技に役立ったようである。成功は比較的遅かった。あるテレビプロデューサーと話したいがために、当時有名だったコメディアン、ケネス・ホーンの声帯模写で電話をかけたという逸話がある。戦後はBBCラジオに出演するようになり、『ザ・グーン・ショー』で、スパイク・ミリガン、ハリー・シーカム、マイケル・ベンティンらとともに人気を得た。のちに黎明期のテレビにも進出した。

1950年に映画へ初出演し、1956年の『マダムと泥棒』でコメディアンとして評価された。1959年にはイーリング・スタジオ製作の喜劇にも出た。1963年の『ピンクの豹』で演じたクルーゾー警部は脇役だったが、主役を食う演技が話題となり、彼を主役に据えた『ピンク・パンサー』シリーズで世界に名を知られた。1964年にはスタンリー・キューブリック監督のブラック・コメディ『博士の異常な愛情』で、気弱なイギリス空軍将校、真面目なアメリカ大統領、大統領顧問の元ナチ科学者の三役を演じ、アカデミー主演男優賞に初めてノミネートされた。作品ごとに声や発音を使い分け、フランス人、イタリア人、インド人、中国人、日本人など様々な人物を演じ分け、一つの映画で複数の役を演じることもあった。1979年公開の『チャンス』で再びアカデミー主演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。ジョージ・マーティンのプロデュースで、多数の歌やコントのレコードも発表している。

私生活では、うつ病と精神的な不安定に苦しんだ。しばしば、自分には演じる役のほかに自分自身というものがないと語ったという。4度結婚し、最初の2度の結婚で3人の子をもうけた。1970年代半ばには心身の健康が悪化し、仲間の監督や俳優としばしば衝突した。39歳で大きな心臓発作を起こしてペースメーカーを装着していたが、1980年7月24日、心臓発作のため54歳で急逝した。死後に公開された『ピンク・パンサーX』は、未公開フィルムをつなぎ合わせた作品である。撮影順で最後の作品は『チャンス』で、遺作とされる。英国の映画人からは、チャップリン以来、この国が生んだ最大の喜劇の天才と評された。

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