伝記
ジョー・ダッサン、本名ジョセフ・アイラ・ダッシンは、1938年11月5日、ニューヨークに生まれたシンガーソングライターで、アメリカ生まれながら、フランスで活躍した。父は映画監督のジュールズ・ダッシン、母は名手のバイオリニスト、ベアトリス・ローナーで、二人ともアメリカ国籍だった。1940年生まれのリシェルと1944年生まれのジュリーという二人の妹がいた。父方の祖父サミュエルはウクライナのオデッサ出身のユダヤ系移民で、アメリカに着いたとき、英語が話せず本名を伝えられなかったため、移民局がオデッサにちなんで「ダッシン」の名で登録したという。
両親はニューヨーク、次いでロサンゼルスに住み、彼は母からピアノ、バンジョー、ギターを教わった。父はかつて短期間アメリカ共産党に属していたため、同業の監督に名前を挙げられ、議会の非米活動委員会の圧力を受けて、ハリウッドのブラックリストに載った。そのため一家は1950年にヨーロッパへ移り、何度も引っ越した。父の撮影について回った彼は、11の学校を経験し、イギリスやイタリアの学校のほか、ジュネーヴ・インターナショナル・スクールとスイスのル・ロゼ校にも通った。1956年にグルノーブルで、優秀な成績でバカロレアを取った。1954年に両親が別れると、父を追放同然にした祖国への思いから、アメリカに戻る決意をした。皿洗いや配達、ラジオ局のディスクジョッキーなど、さまざまな仕事で学費を稼ぎ、ジョルジュ・ブラッサンスの歌をカフェなどで歌ったが、本物の観客の前では恥ずかしがって歌えなかったという。
ミシガン大学の医学部に3年在籍したが、実らず、人類学に転じて1961年に学位を得た。2年後には、アメリカ先住民ホピ族についての論文で修士号を取った。作家になる道も考えながら、1963年の終わりにフランスへ戻り、小説や短編を書き、アメリカの雑誌に寄稿した。父の仕事場で技師として働き、『トプカピ』など父の作品に俳優として出ることもあった。
1964年、仮装舞踏会で出会った女性が、彼の歌を録音した盤を贈ろうと、CBSレコードの知人に録音テープを渡した。アメリカ民謡『フレイト・トレイン』を歌ったテープで、これを聴いたCBSは、初のフランス語圏の歌手として彼を売り出す決定をした。1964年12月26日に契約を結び、フランスの居住者として初めてアメリカのレコード会社と契約した。以来、フランス語の歌をリリースし続けた。最初の2枚のEPは成功しなかったが、1965年末の3枚目は初めての評判作となり、ブラジルの歌手ロベルト・カルロスの曲を翻案した作品だった。
彼が歌った『オー・シャンゼリゼ』はフランスで大ヒットし、日本でもダニエル・ビダルのカバーで広く知られた。1980年8月20日、タヒチのパペーテで、実母ベアトリスと二人の息子とともに訪れたレストランで、心臓発作のため亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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