伝記
ハンス・ヨアヒム・モーゲンソーは、1904年2月17日に生まれ、1980年7月19日に没したドイツ出身の国際政治学者である。ドイツ語読みではハンス・ヨアヒム・モルゲンタウとも表記される。国際政治を権力闘争とみなす現実主義学派の代表的な論者で、20世紀の国際関係論を代表する人物の一人とされる。シカゴ大学教授を長く務めた。
ドイツのコーブルクで、アシュケナージ系ユダヤ人の家庭に生まれた。ベルリン大学、フランクフルト大学、ミュンヘン大学で法学と政治学を学び、1929年に国際裁判の本質と限界を論じた論文で博士号を得た。この論文は同年に最初の著書として出版され、カール・シュミットが書評を書いた。晩年の自伝的な文章によれば、ベルリンを訪れた際にシュミットと会ったが、うまくいかず、「悪魔的なもの」の前にいたと感じたという。その後ジュネーブで大学教授資格のための論文を完成させ、法学者ハンス・ケルゼンの助言を受けた。この論文はフランス語で刊行されたが、英語には訳されていない。
フランクフルト大学で国際法を教え、ジュネーブやマドリードの大学でも政治学や国際法を講じたが、ナチスによる迫害を恐れて、スイスとスペインでの数年を経て、1937年にアメリカ合衆国へ移住した。最初の仕事の一つはブルックリン・カレッジの夜間学校で教えることだった。1939年から1943年までカンザスシティで教えたのち、シカゴ大学の教授となり、1973年まで務めた。1950年代初めにはハーバード大学の客員教授として大学院のゼミを担当し、そのとき博士論文に取り組んでいたヘンリー・キッシンジャーと出会っている。その後、ニューヨーク市立大学シティカレッジの教授職に就いた。
主著『国際政治――権力と平和』は1948年に初版が出され、生前に五つの版を重ねて、アメリカの大学で教科書として広く使われた。外交の行動準則として、「力によって定義された利益」としての国益を提起した。副題が示すとおり、権力闘争だけでなく、倫理や法の規範がそれを制約する方法にも関心を寄せていた。「力なき外交は脆弱であり、外交なき力は破壊的」であると説き、外交政策が「美徳対悪徳の闘い」であるという感傷的な観念や、邪悪な国が降伏した後に権力政治のない新世界が現れるというユートピア的な観念を否定した。勢力均衡の重要性に照らし、第二次世界大戦中からのアメリカのソ連との交渉の失敗や、戦後の中国政策の失敗、ベトナム戦争を批判した。勢力均衡についても、各国がパワーの配分を正確に測るのが困難で、軍拡競争を招きかねないなどの限界を指摘した。現実主義者として著名だが、軍事力のみに頼ることは危険だとも結論づけている。
国務省の顧問を務めたこともあったが、ケネディ、ジョンソン両政権の時期にはベトナムでのアメリカの政策を公に批判し始め、ジョンソンに解任された。1970年代初めに現れた楽観的な「冷戦終焉論」にも批判的で、冷戦の原因となった問題は解決していないと述べた。1973年の夏、ハンナ・アーレントとロドス島へ旅行し、プロポーズしたが断られ、その後も友人として交際を続けた。1979年10月8日にはギリシャでスイス航空機の事故に巻き込まれたが、生還した。1980年7月19日、潰瘍の穿孔でニューヨークの病院に入院した直後に死去した。
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