伝記
ナタリー・ウッドは、1938年7月20日、カリフォルニア州サンフランシスコで、ロシアからの移民の両親のもとに生まれたアメリカの女優である。本名はナタリア・ニコラエヴナ・ザハレンコ。母マリアはシベリア南部のバルナウルの出で、一家はロシア内戦で国を逃れ、中国のハルビンに難民として暮らした。父ニコラスは大工だった。二人は1938年に結婚し、その5か月後にナタリーが生まれた。母は前の結婚で生まれた娘オルガを連れており、ナタリーの下には1946年に生まれた妹のラナがいる。ラナも女優になった。のちに一家は、カリフォルニア州サンタローザへ移った。そこで撮影中のスタッフの目にとまり、映画に出るようになった。子役として売り出す際に、RKOの製作者たちが、観客に親しみやすいよう姓を「ウッド」に改めさせ、監督サム・ウッドへの敬意も込めたという。
1943年ごろから映画に出演しはじめ、シャーリー・テンプルの次の世代の人気子役となった。8歳のときに共演者を務めた1947年の『三十四丁目の奇蹟』で、人気スターとなった。10代で出演した1955年の『理由なき反抗』では、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。その後も、ジョン・フォード監督の西部劇『捜索者』、ロバート・ワイズ監督のミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』、エリア・カザン監督でウォーレン・ベイティと共演した『草原の輝き』などで、スターの座を確かなものにした。『草原の輝き』と1963年の作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、25歳になる前に3度のノミネートを受けた。1970年代には映画の仕事をひかえ、テレビ作品に出演した。1979年のテレビドラマ『地上より永遠に』では、ゴールデングローブ賞を受けた。
私生活では、1957年に俳優のロバート・ワグナーと結婚した。破局後、ウォーレン・ベイティと婚約したが、結婚には至らなかった。1969年にプロデューサーのリチャード・グレグソンと結婚して、娘ナターシャが生まれた。のちに、ワグナーと再婚して、娘コートニーももうけた。エルヴィス・プレスリーやデニス・ホッパーらと浮名を流す、恋多き女優としても知られた。『草原の輝き』の撮影現場で知り合ったマート・クロウリーを助手として雇い、ゲイであったクロウリーを経済的に支えた。その援助で書き上げられた、同性愛を正面から取り上げた戯曲『真夜中のパーティー』は、1970年にウィリアム・フリードキン監督で映画化された。
1981年11月29日、映画『ブレインストーム』の撮影の合間に、ワグナー、共演のクリストファー・ウォーケンらとロサンゼルス沖でヨットに乗っていたところ、行方不明になった。翌日、サンタカタリナ島の入り江で溺死体となって見つかり、43歳の若さで世を去った。死因は事故死とされたが、殺されたとの見方も長く囁かれた。2011年にロサンゼルス郡の警察が再捜査を始め、2012年の検視報告書は、遺体に複数の打撲や傷跡があったと認め、死因を「事故死」から「水死および不確定要因によるもの」に改めた。ただ、警察は殺人事件として扱うには証拠が不十分と結論づけたと報じられた。2018年には、新たな目撃者の証言を得た警察が、元夫のワグナーを重要参考人として事情聴取を求めたが、拒まれたと伝えられる。遺体はウエストウッド・メモリアルパークに埋葬された。
同じ年に亡くなった人物
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