HISTORICAL PERSON · 1981年没

グロリア・グレアム

アメリカの女優。『十字砲火』でアカデミー賞にノミネートされ、『悪人と美女』で助演女優賞を受賞した。

生涯
1981年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(ロサンゼルス)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

グロリア・グレアムは、1923年11月28日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれたアメリカの女優である。本名はグロリア・ペネロピ・ハルワード。グレアムは、母が舞台で使っていた芸名にちなんだ姓である。父はイギリス出身の建築家で作家のレジナルド・マイケル・ハルワード、母はスコットランド出身の舞台女優で演技の教師でもあったジーン・マクドゥーガルだった。ただ一人のきょうだいである姉ジョイも女優で、俳優ロバート・ミッチャムの弟と結婚している。幼いころから、母に演技を教わった。ハリウッド高校に通ったが、女優を志して中退した。

早くから舞台に立ち、1942年にはシカゴの喜劇に出演した。1943年12月6日にブロードウェイにデビューし、その舞台を見たプロデューサーのルイス・B・メイヤーに認められて、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約した。映画には1944年ごろから出演したが、評価されたのは1946年の『素晴らしき哉、人生!』のヴァイオレット役である。MGMは彼女を大スターに育てるのは難しいと考えて、1947年に契約をRKOに売却した。RKOでは、堕落した美女で性的な魅力に抗いがたい女という役を、フィルム・ノワールでたびたび演じた。1947年の『十字砲火』でアカデミー助演女優賞にノミネートされた。

1950年にはハンフリー・ボガートと共演した『孤独な場所で』に主演して、高く評価された。現在では彼女の最高の演技の一つとされるが、興行的には成功せず、RKOの持ち主のハワード・ヒューズは、自分はこの映画を見ていないと認めたという。ヒューズは、ほかの作品への貸し出しを求める彼女の希望を退け、代わりに『マカオ』で脇役をさせた。1952年のMGMの『悪人と美女』では、画面に出る時間が9分ほどしかなかったが、アカデミー助演女優賞を受賞した。同年にはセシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』にも出演した。1953年のフリッツ・ラング監督の『復讐は俺に任せろ』では、顔に熱いコーヒーを浴びせられる女を演じ、1954年のラング作品『仕組まれた罠』では、運命の女を演じた。1955年の『オクラホマ!』のころから、キャリアには陰りが見えはじめた。

観客は、フィルム・ノワールの妖婦としての彼女を見慣れていたため、健全なミュージカルで無知な田舎娘を演じたことは、批評家の一部から場違いとされた。整形手術で上唇が麻痺して、話し方や見た目が変わったこと、撮影現場で共演者を遠ざけたとの噂もあった。以後は舞台へ戻り、映画やテレビでは脇役を演じ、テレビの『アウター・リミッツ』には、過去に生きる忘れられた映画スターとして出演した。

私生活では4度結婚した。2番目の夫は映画監督のニコラス・レイで、4番目の夫アンソニー・レイは、そのニコラスと最初の妻との間の息子であり、グレアムにとっては義理の息子にあたる。ニコラスとの間に1人、アンソニーとの間に2人、3番目の夫との間にも1人の子がいる。1974年に乳癌と診断され、1年足らずで寛解して仕事に復帰したが、1980年に再発した。それでも働き続け、イギリスで舞台にも出た。1981年に容態が急に悪くなり、家族の求めでニューヨークに戻った10月5日、その日のうちに聖ヴィンセント病院で57歳で亡くなった。2017年には、友人ピーター・ターナーの回顧録による映画『リヴァプール、最後の恋』が公開され、アネット・ベニングがグレアムを演じた。

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