伝記
エドワード・ハレット・カーは、1892年6月28日にロンドンで生まれたイギリスの歴史家・国際政治学者・外交官・文筆家である。ケンブリッジ大学を卒業し、1916年から1936年までイギリス外務省に勤務した。その後、ウェールズ大学アベリストウィス校の国際政治学の正教授に就いた。第二次世界大戦中は情報省を経て、『タイムズ』紙の編集委員として活動した。のちにケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのフェローとなった。
著作は、外務省に勤めていた時期から始まる。1931年にはロシアの作家の伝記『ドストエフスキー』を、1933年には『浪漫的亡命者たち』を、1934年には『カール・マルクス』を刊行した。1937年にはロシアの革命家の評伝『バクーニン』を著した。こうした人物研究を重ねたのち、国際関係の分野へと向かった。
1939年に刊行された『危機の二十年』は、法律的・道義的なアプローチが支配的だった国際関係論に、権力政治の重要性を強調した現実主義の書として知られる。しかし同書には、現実主義と反対のユートピア的な主張もあり、そこに本書の価値があると指摘する研究者もいる。同書の圧倒的な影響力は、カーといえば『危機の二十年』というステレオタイプを生み、戦間期から大戦中、1950年代にかけて旺盛に書かれた講演や論文、新聞記事、書評などには、あまり関心が向けられてこなかった。戦間期にナチス・ドイツへの宥和政策に好意的な考えを示したことや、戦後の冷戦期の親ソ的な発言は批判された。一方で、友人にはアイザイア・バーリンやアイザック・ドイチャーといった対照的な人物がいた。英米の自由民主主義を絶対視する見方や、自由放任主義、新自由主義を批判し、現代社会の秩序の成り立ちを合理的にとらえようと考え続けた。
そうしたカーが、ライフワークとしたのが、ソヴィエト=ロシアと20世紀国際政治の研究である。1950年から1978年にかけて、『ソヴィエト=ロシアの歴史』全14冊を著した。それを一般読者向けに書き直したのが、1979年の『ロシア革命――レーニンからスターリンへ』である。ほかに『ナショナリズムの発展』や、1951年の『新しい社会』、1982年の『コミンテルンの黄昏』などがある。1935年ごろからスターリン体制の恐怖政治が明らかになると、自分が熱狂的な親ソ派だった分、幻滅と嫌悪は強烈だったと、カーは語っている。
1961年の講演をまとめた『歴史とは何か』では、「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです」と述べた。このフレーズは、日本でも世界でもしばしば引用されている。同書でカーは、プロレタリア革命が階級なき社会の実現に至るというマルクスの予言について、歴史の外にゴールを想定する誤りだと批判した。マルクスはダーウィンやフロイトのように世界の見方を変えた思想家だが、その言葉を絶対の真理として受け止めるべきではないという。自らのユートピアは「社会主義的」であり、その限りでマルクス主義的だが、西洋のプロレタリアートが世界革命の担い手とは考えられず、その点で一個のマルクス主義者ではないとも語った。1982年11月4日に没した。
同じ年に亡くなった人物
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- ヴィフレド・ラム (1982年没)
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