伝記
セロニアス・モンクは、1917年10月10日にノースカロライナ州ロッキーマウントで生まれたジャズ・ピアニストである。即興演奏の独特なスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られ、ビバップのパイオニアの一人と評される。5歳のときに両親とともにニューヨークのマンハッタンに転居した。高校は卒業しなかったようである。6歳でピアノを弾き始め、10歳から12歳までクラシック音楽のレッスンを受けたが、ジャズ・ピアノに関しては独学と考えられている。
ハイティーンのころにはジャズ演奏の仕事が見つかり始めた。1941年ごろには、ニューヨークのクラブ「ミントンズ」でジェリー・ニューマンが行った録音に参加している。モンクはこのクラブのバンドのピアニストとして雇われていた。1940年代の初めからジャズ・ピアニストとして活動を始め、ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイド、コロムビアなどのレーベルに演奏を残した。プレスティッジの時代まではレコードがほとんど売れず、生活が困窮した時期もあったという。代表曲には「ラウンド・ミッドナイト」「ストレイト・ノー・チェイサー」「ブルー・モンク」などがある。この頃の演奏スタイルは「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、アート・テイタムのスタイルに近かった。1944年に、コールマン・ホーキンス・カルテットとともに最初のスタジオ録音を行っている。1947年にネリー・スミスと結婚し、同じ年にバンド・リーダーとして初めての録音がなされた。ビバップの誕生を告げたチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの録音にも、1947年に参加した。
1950年代と1960年代を通じて、ツアーとレコーディングをこなした。『ブリリアント・コーナーズ』(1956年)や、ジョン・コルトレーンが参加した『モンクス・ミュージック』(1957年)などを録音し、1963年には東京の大手町のサンケイホールで演奏して、その録音が『モンク・イン・トーキョー』として残っている。「ピアノは間違った音を出さない」と言ったことは有名である。ピアノの演奏は、非正統的なアプローチとは対照的に、素晴らしい速度と正確さでアルペジオを弾くこともできた。右手でメロディー・ラインとトリルを同時に演奏することもできるほど、指の独立性が高いと指摘されている。ソロでは、無音の空白とロング・ノーツを特徴とし、ベースとドラムだけにソリストを支えさせるために演奏を止めてしまう傾向もあった。変ロ長調をとくに好んで用い、「ブルー・モンク」「ミステリオーソ」など、作曲した何曲ものブルースは、すべて変ロ長調である。
1970年代の初めには表舞台から姿を消した。1971年11月に最後の録音が行われ、生涯最後の10年間は、ごく数回の演奏が行われただけである。精神疾患を発症していたが、病名は特定されなかったという。1982年2月17日、脳梗塞により死去し、ニューヨーク州ハーツデイルにあるファーンクリフ墓地に埋葬された。死後、その音楽はジャズ評論家や聴衆によって再評価され、モンクはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの巨人の一人に数えられている。1988年には、クリント・イーストウッドが製作総指揮を務めた、生涯と音楽についてのドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』が公開された。
同じ年に亡くなった人物
- ポーン・キングピッチ (1982年没)
- 衣笠貞之助 (1982年没)
- パヴェル・アレクサンドロフ (1982年没)
- ゲルショム・ショーレム (1982年没)
- フェルナンド・ラマス (1982年没)
同じ地域に関係する人物
- コンスタンス・ベネット (1965年没)
- トーマス・エジソン (1931年没)
- Aarthi Aggarwal (2015年没)
- リンドリー・ミラー・ガリソン (1932年没)
- ローランド・ハナ (2002年没)