HISTORICAL PERSON · 1983年没

マディ・ウォーターズ

アメリカのブルース歌手、ギタリスト。シカゴでエレクトリック・ギターを使うバンド編成のブルースを展開し、「シカゴ・ブルースの父」と称される。グラミー賞を6度受賞した。

生涯
1983年没
死亡地
アメリカ合衆国(イリノイ州 / ウェストモント)
出生地
アメリカ合衆国(イサケナ郡)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(イリノイ州)

伝記

マディ・ウォーターズは、本名をマッキンリー・モーガンフィールドといい、1913年4月4日に生まれ、1983年4月30日に没したアメリカ合衆国のブルース・シンガーでありギタリストである。シカゴでエレクトリック・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度グラミー賞を受賞し、没後の1987年にはロックの殿堂入りを果たした。豊かで深みのある声と豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的な個性で、ブルース界の第一人者となった。

幼少期はクラークスデイル郊外のプランテーションで過ごした。泥んこになって遊ぶのが大好きだったことから、「マディ・ウォーターズ(泥水)」のニックネームで呼ばれるようになった。7歳でハーモニカを始め、のちにギターに転向した。1915年にミシシッピ州で生まれたとされてきたが、近年の研究により、1913年にミシシッピ州のイサケナ郡で生まれたとするのが定説になっている。1941年8月、アメリカ議会図書館のフィールド・レコーディングのためにミシシッピ州を訪れたアラン・ローマックスが、ストーヴァルでウォーターズを録音した。これが初めてのレコーディングである。1943年にイリノイ州シカゴに移住し、1946年にはコロンビアで録音している。

1947年、サニーランド・スリムに誘われ、のちのチェス・レコードにあたるレーベルの録音に参加した。スリムの伴奏のためだったが、「ジプシー・ウーマン」「リトル・アンナ・メイ」の2曲を自分でも録音し、これがレーベルからのデビュー盤となった。バンド・スタイルで録音するようになったのは、1950年のパークウェイ・レーベルのセッションからで、リトル・ウォルターが初めてハーモニカを吹いた内容は、実質的にマディ・ウォーターズ・バンドの始動といえた。これに続いて、チェスもバンド・スタイルでの録音を始めた。1953年にオーティス・スパン、1954年にウィリー・ディクスンが録音に加わって、バンドの形が完成する。同年には、「恋をしようよ」「アイム・レディ」など、代表曲となる曲が録音され、1955年にも「マニッシュ・ボーイ」などがヒットした。1964年にはフォーク・ブームに乗ってアルバム『フォーク・シンガー』を出した。

1968年の異色作『エレクトリック・マッド』は、ロック・ファンにアピールするため、大胆にサイケデリックなアレンジを施した作品である。1975年の『ウッドストック・アルバム』では、ザ・バンドのリヴォン・ヘルムらロック・ミュージシャンが参加した。1976年にはザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」に出演し、「マニッシュ・ボーイ」を歌う様子が同名の映画に記録されている。1977年にはジョニー・ウィンターと組んで、ブルー・スカイからアルバム『ハード・アゲイン』を出した。ウィンターの支援を得て、1981年までに4枚のアルバムを出している。ウィンターを「義理の息子」と呼ぶほど親しく、ウィンターは晩年の創作や生活も支えた。1980年5月に唯一の来日ツアーを行い、東京などを回った。

自分のバンドに入りたいと売り込みに来た若者に、チェス・レコードを紹介したことがある。その若者が、のちのチャック・ベリーであった。ローリング・ストーンズのバンド名が、ウォーターズのヒット曲「ローリング・ストーン」に由来するのはよく知られた話である。1980年にブルースの殿堂入りを果たし、1983年にイリノイ州で70歳で死去した。

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