HISTORICAL PERSON · 1983年没

ルイス・ブニュエル

スペイン出身でメキシコに帰化した映画監督。ダリと『アンダルシアの犬』を共同監督し、『ビリディアナ』でカンヌのパルム・ドールを受賞した。

生涯
1983年没
死亡地
メキシコ合衆国(メキシコシティ)
出生地
スペイン王国(Calanda)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(メキシコシティ)

伝記

ルイス・ブニュエルは、1900年2月22日、スペインのアラゴン地方テルエル県カランダに、地主の家の子として生まれた映画監督、脚本家、俳優である。17歳のときにマドリードに出て、7年間を学生館で過ごし、のちに詩人として有名になるガルシーア・ロルカや、画家のサルバドール・ダリらと交友を結んだ。最初は自然科学を学び、途中で歴史学、哲学に変更した。少年時代には厳格なイエズス会の学校に通わされ、その反発と、アナーキーなシュルレアリスムの影響から、自らを筋金入りの無神論者と称するようになった。1923年に父が死去し、1925年にパリへ出て、批評を書き、映画撮影所に出入りして助監督などを務めるうちに、前衛芸術であるシュルレアリスム運動を知った。

スペインに一時帰国したとき、まだ無名だったダリと見た夢の話をするうちに、それをもとに映画を作ることになり、二人で脚本を書いた。パリに戻って撮った『アンダルシアの犬』(1928年)は、女性の眼球(実際には牛の目が使われた)を剃刀でいきなり切る衝撃的な場面で始まり、熱狂的な拍手で迎えられた。二人はブルトンらシュルレアリストの輪に受け入れられ、今も同作品はシュルレアリスムを代表する古典とされる。直後に撮った『黄金時代』(1930年)は、右翼がスクリーンに爆弾を投げつける事件が起き、その後50年間公開が禁止された。次にスペインでドキュメンタリー『糧なき土地』を撮り、最貧地方の生活を描いたこの作品も、愛国的な反発を呼んで公開禁止となり、ブニュエルはフランコ政権下で指名手配までされた。

スペイン内戦が起こると、共和国側のフランス大使のスタッフとして奔走した。敗北のころにはアメリカに渡り、ニューヨーク近代美術館で反ファシズム映画を集める仕事に就いたが、ダリが自伝で「ブニュエルは無神論者だ」と発言したため職を失った。ハリウッドで映画周辺の仕事をした後、1946年にメキシコへ移り、久々に監督を再開した。コメディ『のんき大将』でヒットを飛ばし、社会主義リアリズムの傑作『忘れられた人々』でカンヌ国際映画祭の監督賞を受け、50歳で国際的に返り咲いた。以後、低予算の映画を量産し、『エル』『皆殺しの天使』『昇天峠』『ロビンソン漂流記』『嵐が丘』など、多種多様な作品を撮った。

1961年にスペインに招かれて撮った『ビリディアナ』は、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞した。スペイン映画として初めてだったが、乞食たちが最後の晩餐を茶化す場面が物議を醸し、スペインとイタリアで上映禁止となった。フランコ政権の存命中に帰国したことは、共和国側の亡命者たちから非難された。1963年以降は主にフランスで映画を作り、ジャンヌ・モロー主演の『小間使の日記』、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』や『哀しみのトリスターナ』、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『自由の幻想』『欲望のあいまいな対象』などを撮った。1972年に久々にハリウッドを訪ねた際には、ジョン・フォードやヒッチコック、ワイラー、ワイルダーらから歓待を受けた。1983年7月29日、メキシコシティで肝硬変により死去した。83歳だった。

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