HISTORICAL PERSON · 1983年没

バックミンスター・フラー

アメリカの思想家、発明家。「宇宙船地球号」を唱え、ジオデシック・ドームやダイマクション地図などを発明した。

生涯
1983年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(ミルトン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

リチャード・バックミンスター・フラーは、1895年7月12日、ボストン郊外のミルトンで生まれたアメリカの思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家である。大叔母にジャーナリストで女性の権利の活動家だったマーガレット・フラーがいる。フレーベル幼稚園に通い、学校の幾何の授業では、黒板上のチョークの点が数学的な「点」を表し、直線が無限に延長できるとする考え方に反論して、それを非論理的と見なすような子だった。この考え方が、後にシナジェティクスへとつながったという。子供のころは森で得た材料でものを作り、道具を自作し、ボートの人力推進装置の実験もして、12歳までに、傘を逆さにしたような形で「押し引き」の動作で働く装置を発明した。工作機械操作者の資格を取り、板金加工の知識も身につけた。

ミルトン・アカデミーで学び、1913年にハーバード大学に進んだが、1年目に停学を2度ほど受け、退学した。その合間に、カナダの織物工場で機械技師として働き、食肉加工会社でも労働者として勤務した。第一次世界大戦期にはアメリカ海軍に従軍して、船舶無線の操作や、救助船の指揮を担った。1917年にアン・ヒューレットと結婚し、義理の父とともに、軽量で防水・耐火の家を作るシステムを開発した。1922年、長女アレクサンドラが4歳の誕生日を目前に、ポリオと髄膜炎の合併症で亡くなった。住環境が多湿で隙間風が多かったことが原因ではないかと疑い、安くて効率のよい屋根構造の販売を事業としたが、失敗して人生に絶望した。1927年、32歳のとき、自殺を考えてミシガン湖に行き、冷たい湖水に身を投げようとしたが、ある考えが浮かんで思いとどまった。それ以後は、研究の生活に入った。

1930年に研究員となり、生命保険を解約して、その資金で雑誌『シェルター』を創刊した。1933年にはコネチカット州で、27人でダイマクション・カーの開発を始めた。1934年のシカゴ国際博覧会に試作3号車を展示し、1938年にはフォーチュン誌の科学技術顧問を務めた。1944年にはカンザス州ウィチタで、ダイマクション・ハウスの制作実験を行った。1947年にジオデシック・ドームを発明し、1954年に特許を取得して、アメリカ海軍に採用された。1959年にはモスクワ万博のアメリカ館に採用され、1967年のモントリオール万博でもアメリカ館のドームとなった。他に、テンセグリティやオクテットトラス構造の特許も取得し、全28冊の著作でシナジェティクスなどの概念を広めた。

1960年代には「宇宙船地球号」という言葉を唱え、いち早く人類と地球との調和を説いた。講演のために世界を回り、名誉博士号も数多く受けた。生涯の活動の詳細な記録をクロノファイルと名づけ、膨大な量を残している。しかし、発明のほとんどは生産されず、建築など関わった分野では批評にさらされたり、ユートピア主義者として無視されたりした。1970年にはアメリカ建築家協会のゴールドメダルを受けた。炭素60の分子がジオデシック・ドームと同じ構造を持つことから、バックミンスターフラーレンと命名された。1983年7月1日、ロサンゼルスで87歳で亡くなり、同年、妻アンも死去した。

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