伝記
ジャネット・ゲイナーは、1906年10月6日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた女優である。生まれたときの名はローラ・オーガスタ・ゲイナーといい、子供のころは「ロリー」と呼ばれた。二人姉妹の妹で、父フランク・デウィットは舞台の背景画家で壁紙職人でもあり、まだよちよち歩きの娘に、歌や踊り、アクロバットを教えた。フィラデルフィアでは学校の劇に出演するようになった。1914年に両親が離婚し、母と姉とともにシカゴに移り、その後まもなく母が電気技師と再婚して、一家はサンフランシスコに移った。1923年にサンフランシスコの高校を卒業し、その冬はフロリダ州メルボルンで舞台の仕事をした。
サンフランシスコに戻ると、母と継父とともにロサンゼルスに移り、女優の道を進もうとしたが、当初は気が進まず、ハリウッドの秘書養成学校に入った。靴屋で会計係として週給18ドルで働いたのち、劇場の案内係もして生計を立てた。母と継父に励まされ、継父に付き添われて撮影所を回るうちに、1924年12月26日、ハル・ローチのコメディ短編のエキストラとして、初めての仕事を得た。その後もいくつかの長編映画や短編の無給のエキストラとして出演したが、2年間は芽が出なかった。ユニヴァーサルに週給50ドルで雇われ、6週間後に、フォックス映画社の幹部から、『ジョンスタウンの大洪水』(1926年)の脇役のスクリーンテストを持ちかけられた。20歳で主演の座をつかみ、共演者よりも素晴らしい演技を見せたとされる。フォックスは彼女を5年契約で専属とし、主演に起用し始めた。同じ年にはワンパス・ベイビー・スターズにも選ばれた。
1927年には『第七天国』と、F・W・ムルナウ監督の『サンライズ』で絶賛された演技力を見せ、翌年の『街の天使』とともに、史上初のアカデミー主演女優賞を受賞した。複数の作品の演技に対して1回の賞が贈られたのは、後にも先にもこのときだけで、22歳での受賞は、1986年まで最年少の記録だった。甘くて清らかな若い女性という像を持ち、深みと繊細さをもって演じることで知られた。チャールズ・ファレルとは12本の作品で共演し、「アメリカの人気のおしどり」と呼ばれた。サイレントからトーキーへの転換にうまく対応できた数少ない主演女優の一人で、美しい声を持っていた。1931年と1932年には、マリー・ドレスラーと並んで興行収入の第1位だった。ドレスラーが亡くなった後は、単独で首位を保った。『スタア誕生』(1937年)では、女優として成功しようと奮闘するヴィッキー・レスターを演じ、2度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、受賞は逃した。
1939年に女優を引退し、映画衣装デザイナーのアドリアンと結婚して、息子をもうけた。1950年代には映画やテレビに短く復帰し、のちには油絵を描いた。1980年には、ブロードウェーで『ハロルドとモード』に出演し、劇は失敗したが、演技は好評だった。1982年9月、75歳のときタクシー事故に遭い、胸骨や頸椎、骨盤などに重傷を負った。次の年までいくつかの手術に耐えたが、体力を著しく失い、1984年9月14日にカリフォルニア州パームスプリングスで、肺炎により77歳で死去した。
同じ年に亡くなった人物
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